「百人一首」に「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに」という歌がある。作者は、嵯峨天皇の子で、臣籍降下した源融(みなもとのとおる)。「百人一首」では官職名の河原左大臣のほうが通っている。
司馬遼太郎は、この歌から『街道をゆく 白河・会津のみち』を書き起こしている。少し引く。
《「信夫(しのぶ)」といえば、今でこそ福島県の県庁所在地福島市(かつての信夫郡・信夫荘)にすぎないが、この時代のひとびとがきけば、千々にみだれる恋の心に、イメージを重ねる。単なる地名ではない。》
司馬さんは、河原院源融に触れながら、徐々に読者の視線を陸奥へと誘導していく。
福島に行く人にはお勧めの一冊である。この薄い文庫を一冊読んでおくだけで、ずいぶんと福島の様子がクリアに見えてきますぞ。
この中で、司馬さん、福島県を「列」という字に例えている。「刂(りっとう)」を浜通りと中通りに喩え、「歹」を会津に見立てている。「歹」の中央の枠はさしずめ猪苗代湖なのだろう。
この本で、浜通り・中通りと会津地方の気象条件が違うということを知った。厳冬期に福島を訪ったことがなかったので実感として解らなかった。しかし今回の旅行でようやく掌を返すような気象の変化が見えた。これは収穫だった。
さて、今回の福島行きの主たる目的は、とにかく「福島でお金を使う」ということに尽きる。だから、新幹線で正午前に郡山に到着した酒好きのメンバー10人は、、そのまま宴会場に直行する。
駅ビルの中にある日本料理の「湖穂里(こおり)」
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で、のっけから飛ばしましたぞ。あらかじめコースを頼んでおいたのだが、会津蕎麦が美味かった。一しきり料理は並んでいる。しかも会津蕎麦まである。しかし、それ以外に都合8枚ほど会津蕎麦を追加した。これがメチャメチャ熱燗に合うんですね。
今回、福島の勉強をしていて、郡山が西三河と類似点が多いことに気がついた。まず、元々が原野であったということである。
明治期に造られた大きな用水が3つある。那須疎水(栃木県)、安積疎水(福島県)、明治用水(愛知県)というものがある。
ワシャの故郷の西三河も郡山も、明治に疎水が通って一大農業地に変貌している。その後、交通の要衝ということもあり、郡山は急速に発展を遂げる。
「近時、郡山は、他からみれば憎々しいほどに発展し、東北の雄都という印象までなった」とは司馬さんの言である。
たらふく食って飲んで後、郡山の中心市街地を散策する。さすがに30万都市のゲートエリアだけあっていい顔づくりができている。都市計画に携わった人間のセンスの良さのようなものが街ににじんでいる。
少し心配なのは、街に人がいないことだった。妙に静かなのだ。これも福島第1原発の風評の影響だとすれば、東京電力の罪は重い。
(つづく)