昨日、愛知県刈谷市で定例の読書会、課題図書は、吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫)だった。三陸海岸を定期的に襲っている津波を丁寧に取材した吉村さんの「記録文学」である。これを読めば、今回の大津波が必然だったことがよくわかるし、当然のことながら三陸海岸に住する皆さんは、自分の地域について書かれたこの本を知っていただろう。しかし、過去の教訓はなんら生かされなかった。
吉村さんの分析にもやや甘さが見られる。明治29年の大津波26,360人、昭和8年の大津波2,995人、昭和35年のチリ地震津波105人と犠牲者の数を列挙し「津波被害にあきらかな減少傾向がみられる」と言う。これについてこんな分析をしている。本文を引く。
《その理由は、波高その他複雑な要素がからみ合って、断定することはむろんできない。しかし、住民の津波に対する認識が深まり、昭和八年の大津波以後の津波防止の施設がようやく海岸に備えはじめられたことも、その一因であろう。》
平成23年の大津波の犠牲者の数(死者・行方不明者23,800余人)を見れば、住民の津波への認識が深まっていたとは思えず、津波施設にしても、その存在によって若干の被害の軽減はみられるものの、それがあるためにむしろ油断を招いたのではないか。
原発事故調査・検証委員会のトップに「失敗学」の畑村洋太郎さんが就任する。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381949EE0E6E2E49F8DE0E6E2E7E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at=ALL
これはおもしろい。
また、「311」の3か月前に、今回の大津波の襲来を指摘していた関西大学の河田惠昭教授が、復興構想会議の委員に選ばれた。これも、今後の東北の復興を考えていくうえで、朗報と言っていい。
それにしても残念なのは、河田教授が昨年12月に上梓した『津波災害』(岩波新書)の中で、津波の恐ろしさ、三陸海岸の危険度などの警鐘を鳴らしておられたのだが、三陸海岸沿いの防災関係者は、この本を読まなかったのかなぁ。
刈谷駅前の会議室で2時間半にわたって、喧々諤々の議論をして、いつもならその後に街に繰り出して「宴」となるのだが、テーマが重かったせいか、結局、散会となった。ま、ワシャとしては、連夜の刈谷ナイトだったので休肝日になってありがたかった。
と言いながら、家に帰ってから飲んじゃいましたので、厳密には肝臓は休んでいないのか。
ちょっとおまけ。
社民党の重野幹事長が「こういった国難の時だから首相を代えるべきではない。しっかりと支えていく」と言った。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110525/t10013096961000.html
社民党が言ったことの反対はほぼ正しい。それは歴史が証明してきた。つまり「やっぱりすっから菅は替えるべきだ」というのが日本のためには正解のようだ。