エイヤー会津磐梯山は宝の山よ

 地吹雪の猪苗代を越えて、会津若松に入っている。
 司馬遼太郎の『街道をゆく』の中にこんな文章がある。
白虎町のホテルから繁華な大町の通りを南にくだって会津若松郵便局を過ぎ、交叉点をさらにくだると、町はいよいよにぎやかになるばかりで、寺などは見あたらない。》
 会津若松第一等の寺、興徳寺に向かう段である。興徳寺はこの際どうでもいい。問題は「白虎町のホテル」である。
街道をゆく』の「奥州白河・会津のみち」は昭和63年の秋ごろから「週刊朝日」に連載されている。取材に同行された須田画伯の絵を見ると、青々とした緑が描かれてあるので、おそらく司馬さんは、初夏から盛夏にかけて福島県を訪れているはずだ。その時に宿泊したホテルが「白虎町」にあるわけですね。
 だから司馬フリークのワシャはわざわざ白虎町のホテルを選んで宿泊をした。「会津若松ワシントンホテル」である。なにしろ白虎町には、このホテルしかないんだから、司馬さんの宿泊したホテルもここだろうと、勝手に決めた。
 そして、司馬さんの歩いた中央通りをトットトットコ歩いたのである。会津若松郵便局もあったし、もちろん興徳寺も、蒲生氏郷の墓も雪の中にあった。司馬さんと同じ道程を行く、それだけでうれしいのである。

 夜は、鶴ヶ城の北にある「さくら鍋 鶴我」
http://www.turuga829.com/index.html
で絶品の馬刺しをいただきました。これがメチャメチャ美味しいんですわ。ワシャが今まで食した馬刺しの中で、間違いなくベスト3に入ってくるくらいのウマさだ。
 そこで、会津の地酒を10種類ほど燗とヒヤ双方ともいただきました。「ほまれ」「榮川」「会津娘」「天明」「会津流」などなど。ワシャ的には「天明の飢饉」と名付けた「天明」が辛口で口に合った。
 う〜ん、上等の馬刺しにショウガをのせて、地醤油をちょいとつけて口に入れる。そこに「天明」だ。うまい!
 しこたま飲んで、食って、気がついたらホテルの部屋だったので、なんとか戻れたようである。
 ホテルのベッドはわりと固めでワシャ好みだったが、トイレの便座が温便座ではなかった。無防備に座ったので、心臓が止まりそうになった。温便座にしてほしいなぁ。
(つづく)