終戦は明日だったのか(占守島と帰らざる夏) その2

(上から続く)
 そして番組の後半にソビエトスターリンが登場してくる。このユーラシア北方の独裁者は、ある意味、ヒトラーよりも恐ろしい。『共産主義の黒書』の著者クロトワはソビエト体制の犠牲者は2000万人と言われている。ナチス体制下のユダヤ人の犠牲者が600万人といわれているから、その3倍強がスターリン体制化で犠牲になっている。それにドイツや日本の兵隊でシベリアに送られて殺されたもの、ソビエト兵の手による虐殺などを含めれば犠牲者の数はまだまだ膨れ上がっていく。
このソビエトと、ヨーロッパ戦線で勝ちを収めたい連合国側が手を結んだのである。クリミア半島の先端にあるヤルタでルーズベルトチャーチル、そしてスターリンが会談をしている。日ソ不可侵条約があるにも関わらず、ソビエトの対日参戦を決めたのである。これが国際政治なのだ。歴史は勝者がつくる。勝てば官軍なのだ。馬の目を抜く国際舞台で日本はあまりにも幼く、米、英、ソの首脳の思惑通り、きりきり舞いをさせられて滅亡に向かっていく。
ソビエトの宣戦布告は8月9日、日本はソビエトを仲介として終戦交渉を行っていた。だから、スターリンは日本が降伏する状況にあることを熟知している。そして日ソ中立条約はこの時点で有効なのだ。しかし、よもやの参戦である。日本がポツダム宣言を受諾し連合国側に降伏をした3日後、ソビエト軍は北千島占守(しゅむしゅ)島に上陸を始める。
ポツダム宣言では、千島は本来日本の領土として認められていた。しかし、ヒトラーの上をゆく山賊スターリンである。国際条約もへったくれもあったものではない。
「この際、樺太はおろか、千島、北方四島、北海道までソビエト領にしてしまえ。日本を北から真っ赤に染めてやれ」
 ということになった。
(下に続く)