偏った経歴

 平成21年8月30日執行の最高裁判所裁判官国民審査の「審査公報」が届いた。9人の最高裁判事の経歴はどなたの経歴も実に立派だ。非の打ち所がない。皆さん、東大、京大などを卒業し、キャリア、法曹界、大学教授などを経て、最高裁判事に就任している。最高裁において関与した裁判の判決もおおむね妥当なものといっていい。もちろん罷免する必要はないだろう。
 でもね、どの方も順風満帆(「じゅんぷうまんぽ」じゃないですよ、麻生さん)な経歴で本当にいいのだろうかと思ってしまった。世間を知らない人間、苦労をしていない人間、極限を知らない人間、底辺を這いまわったことのない人間は、どこか脆弱なような気がして仕方がない。
 昭和の大実業家の松下幸之助を見よ。彼は9歳で丁稚奉公に出され、苦労に苦労を重ねた。日本のエジソンと言われる本田宗一郎にしてもそうだ。浜松の高等小学校を出るとすぐに東京の自動車修理工場に奉公に出ている。経団連会長まで上り詰め、政府の臨時行政改革審議会会長としても辣腕をふるった土光敏夫は、中学校受験で3度失敗をし、東京高等工業学校の試験にも落ちている。挫折を何度も味わっているのだ。
 これだけの苦労をしているから、人生の挫折を味わってきたから、この人たちの発言は骨太で説得力がある。それに比べると秀才判事さんたちの線の細いことよ。この国の三権の一つである司法の頂点に君臨するど偉い人たちなんだ。せめて一人や二人、幸之助、宗一郎、敏夫に匹敵するくらいの人物が混じっていないと寂しいよね。

 夕べ、刈谷で読書会。次回の課題図書は、日垣隆『秘密とウソと報道』(幻冬舎新書)。ちなみに9月のスペシャル読書会の課題図書は、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)ですぞ。パセリくん、ちゃんと読んでおいてね。