世襲について その2

(上から続く)
 同書では、日本橋馬喰町紙屋中庄の中村家のこんな家訓を紹介している。
「男子相続は後代まで永く永く相成らず、当家相続は養子に限り、固く定めおくものなり」
 中村家では身内の情よりも、家業の隆盛を優先した。このために「世襲」を一切否定したのである。潔いというか、ここまでしなければ家政を円滑に継続していくことが難しいということなんだろう。昨日、話題にした町工場の社長の梅原さんも事業を世襲しなかった。一商店、一町工場ですらよりよいものを求めればそうなる。それが位人臣を極めた小泉純一郎の体たらくはどうだ。「親バカなんですが〜」とやに下がって自分の不出来な息子を国政の後継者に押してきた。こいつが国のことなんかこれっぽっちも考えていなかったということが明白になった。匹夫にも劣る所業と言っていい。
 
 HONDAの創業者、本田宗一郎は会社が発展途上に入ったころ、腹心の藤沢武夫とこう語り合ったという。『本田宗一郎の人生』(東洋経済)から引く。
「企業に“私”の色を入れてはならない。企業は株主の持ち物であり、さらには世間一般、つまり社会のものだ。お互い、自分の色のついた人間を入れぬことにしよう」
 もちろん二人は息子を会社にすら入れていない。この潔さは見事と言っていい。