嘘だらけの老害に引退勧告を その1

 元参議院議員小沢一郎の懐刀だった平野貞夫さんの『平成政治20年史』(幻冬舎新書)の中にこんなフレーズが出てくる。
《小渕首相の病状を国会や内閣そして国民に隠しておいて、内閣総理大臣という最高の地位を、自分達の派閥の政治利権の利害で、事実上確定し、宗教団体の代表者に了解を求めるという政治手法は、憲法原理はむろんのこと、人間社会の道理としても許されることではない。》
 平成12年4月、森喜朗は小渕首相の昏睡を利用して、青木幹雄官房長官らと謀って、自ら首相の座についてしまった。まったく人倫にもとる行為である。この腐臭が森にまとわりついている限り、地元利権に群がる連中以外に評価されることはない。
 ようやく自民党内部からも森たちの長老政治への批判が出てくるようになった。例えば、河野太郎が報道番組で森喜朗に政界引退を迫るようになってきた。BSでも小泉チルドレン片山さつき木原誠二(どちらも落選)が名指しで森喜朗を批判している。若手・中堅はわかっているのだ。でもね、その若手・中堅にしても愚痴はこぼすが、反乱を起こすまでの根性はない。総裁選で谷垣が選ばれたら、党を割って第三極をつくり政治のキャスティングボードを握ってやる、くらいの気概を見せろよ。
 冒頭の本を読むと見えてくる。やっぱり森の登場あたりから自民党の崩壊が始まっているんですね。このころから永田町で、嘘、嘘、嘘が大手を振ってまかり通るようになってしまった。

 昨日、ちょこっと触れた本田宗一郎だが、世襲についても厳しかったけれど、老害についても厳格だった。
 昭和48年、ナンバー2の藤沢武夫が退社の意向を固めた。それを聞きつけた本田は「オレもちょうどそれを考えていたところでね。ちょうどいいや、このさい、二人でスッパリ身を退こうや」とあっさりとしたものだ。そしてこうも言っている。
「年寄りがいつまでもがんばっていたら、どんどん進む世の中に年寄りが大きなブレーキの役割を果たしてしまうのではないか」
 世界のHONDAを創った本田宗一郎は66歳で惜しまれながら完全勇退をする。凛然たる出処進退である。
 かたや、70を過ぎても権力だ、名誉だと、人間臭いことこの上ないが、じたばたじたばた老いさらばえていく人々がいる。その名は老政治家、この世でもっともみっともない生き物だ。
(下に続く)