商人と盗人

 司馬遼太郎がどこかに書いていたのだが、今、調べてもなかなか出てこない。ざっとこんなニュアンスだったように思う。
「古来、商人という言葉は、盗人に近いものがあった」
 人を欺いて利を盗む。人をたぶらかして金品を収奪する。泥棒と商売人とどこが違うのか、と司馬さんは言っている。
 確かに、ミートホークのカワウソのような顔のオッサンは企業家か詐欺師かよくわからない。コムスンの親玉だって石川五右衛門みたいなヘアースタイルだし、昨日、社長を解任したテン・アローズ(旧シャルレ)の創業家のぼんちは、こそ泥のような顔をしているもんね。

『この国のかたち四』にこんなフレーズがある。
《歴史のなかの商人像をあれこれ考えてゆくと、勝海舟などはまったくの商人的発想ですね。むろん、商人という語感につきまとう軽薄さはありませんでした。》
 現代の商人は軽躁に利を求めすぎ、拝金することこの上ない。このあたりは「金があればなんでも買える」と豪語したホリエモンの賤しさに代表される。
 しつこいが司馬遼太郎
《下級武士の平均的な経済生活は、中以上の農民や商人よりも貧しかった。しかし、農民や商人が形而下的に生きてきたのに対し、自分たちは公のために、あるいは形而上的な価値のために生死すべきものだと思っていた。むろん、くだらない者もいたが、百数十万という大きな人口のうち、たとえ数パーセントでも『論語』泰伯篇にあるような気分をもっていれば、十分に社会の重心になりえた。》

 江戸時代に武士には捕吏が必要なかった。罪に問われれば、恥をうける前にさっさと腹を切ってしまう。この潔さが昨今のニュースにはない。