名人の作

 1カ月も東京に行っていたので、その残務処理が大変だ。研修の成果をまとめるのも一仕事だし、1カ月間手つかずのままの仕事も残っている。家にいなかった間に届いた郵便物も積んだままである。
 ようやく夕べ、その郵便物の整理を始めた。大半はどうでもいいダイレクトメールや図書館からの督促だったが、およよ、司馬遼太郎記念館会誌『遼』が混じっているではないか。こうなるとダメなんですね。整理はそっちのけで、『遼』のページを繰ることになる。
 上村館長の巻頭言は、土方歳三の佩刀(はいとう)の話題だった。先日、土方歳三の故郷、多摩の空気を吸ってきたところだったので興味深く読む。
 土方が愛用したのは和泉守兼定。美濃の関鍛冶を代表する名匠の手によるものである。手元にある『刀剣価格事典』(光芸出版)によれば、斬れ味は抜群だったという。写真を見ても、確かに日本刀としての優美さよりも、機能が優先されているそんな拵えである。製作時期は室町末期、戦国が沸騰しはじめる時代の太刀であるので、機能が尊ばれ始めたゆえであろう。
 かたや沖田総司の佩刀は菊一文字則宗、承元の作といわれるから鎌倉時代も初期の初期のもの。太刀姿は気品が高く、頃合いがよかったらしい。
 近藤勇の佩刀となると、古刀ですらない。もう機能一点張りの新刀で、製作時期は江戸に入ってからである。無骨一辺倒、ただし一たび戦場に出れば、敵の骨まで断つという大業物だった。
 このあたりを名人司馬遼太郎の文章で聴こう。
 場面は新撰組の屯所である。土方と沖田が自らの佩刀を抜いて並べている。もちろん上記の和泉守兼定菊一文字則宗である。そこに近藤局長が入ってくる。沖田が近藤に、「虎徹も並べてほしい」と言う。その続きのフレーズから。
《近藤は沖田に甘い。
無造作にぬいて、その横においた。
なるほど、厚重ねで反りは浅く、姿には、この道でいう怒味と無骨味をもち、いかにも人切り包丁といった凄味がある。
むろん、虎徹にはそれなりの品位はある。だが、しかし鎌倉の古刀である菊一文字には遠くおよばない。要するに、神韻縹渺(しんいんひょうびょう)としたところが、兼定にも虎徹にもないのである。》
 くくく(泣)、名人司馬遼太郎は巧いなぁ……。「神韻縹渺」なんて書けませんよ。意味は「芸術作品などで、奥深くきわめて趣のある様子」なんだそうです。悔しいけれどワルシャワの語彙の中にはありませんでした。『四字熟語辞典』(大修館書店)を紐解いてようやく解かりました。司馬さんの文章を読んでいるとときどきガツンとやられるんですね。「勉強が甘い」そう叱られているような気がします。
 悔しいので、「神韻縹渺」の次に出ていた「心猿意馬(しんえんいば)」も覚えちゃうもんね。