平成18年の師 その2

(上の「その1」から読んでね)
 さて、梅原猛は『梅原猛著作集』全20巻を買ったのが効いている。それまではそれほど興味がなかった。というより『空海の風景』で司馬遼太郎と大喧嘩しているので、司馬ファンのワシャとしては敬遠していた。でも接してみれば、やはり日本を代表する哲学者ですな。著作集のどこを読んでもアホのワルシャワにはためになったのじゃ。
 福澤愉吉も同様に『福澤愉吉著作集』全12巻を購入したことで親しむことができた。やっぱり読書というのは金を惜しまずに買って、目の前に並べておくことが大切ですな。
 河合隼雄は『ゲド戦記』から発展した。河合の著作を8冊、そこから波及してユング心理学関連で4冊、その他の心理学関連本で10冊くらいは読んだ。にも関わらず相変わらず「影」が見つからないワシャなのだった。
 田辺聖子は、NHKの朝ドラ「いもたこなんきん」の影響ですな。司馬さんがかわいがっていたことは知っていたけれど、敢えて読むまでのことはないと高を括っていたんだが、読んでみればやはり面白い。『ああカモカのおっちゃん』(文藝春秋)、『文車日記』(新潮社)『ラーメン煮えたもご存じない』(新潮社)などなど10冊を購入した。その中でも『猫なで日記』(集英社)は創作活動の周辺が綴られており面白かったのう。
 丸山健二はめっけものだった。今年、一番最初に購入した本が丸山の著作『まだ見ぬ書き手へ』(朝日新聞社)である。これは日垣さんに勧められて買ったのだが、こんな頑なな小説家が未だに生息していたことに驚いた。この本以降、『さらば、山のカモメよ』(集英社)、『イヌワシ賛歌』(文春文庫)、『千日の瑠璃』(文春文庫)など8冊を買う。その中のエッセイ集『生者へ』(新潮社)にこんな言葉があった。
《私は祭りの類が嫌いだった。その程度の変化と刺激に酔い痴れて興奮し、人生を謳歌できるおとなを見かけるたびに失望感が深まってゆくのだった。》
 実はワシャも祭りにイベントに浮かれ騒ぐことが嫌いである。祭りが盛り上がれば盛り上がるほど、周囲が騒げば騒ぐほど、貧血のように頭部が冷たくなってくるのだった。そんな天邪鬼な性格を内心で嫌悪していたが丸山さんに救われたわい。
(下の「その3」に続きます)