成田屋!

海老蔵さん、団十郎襲名へ》
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00000014-jijp-soci.view-000
《歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(右)が来年5月に十三代目市川団十郎白猿を襲名することを松竹が発表。長男の堀越勸玄君(左)も同時に八代目市川新之助を名乗り、初舞台を踏む=14日、東京都中央区歌舞伎座
 初代團十郎は、万治3年(1660)葛飾郡市川村の生まれともいわれている。延宝・貞享というから1673年〜1687年に無名の青年役者として登場した。ちょうど犬公方の綱吉が登場してきた時期で、次の元禄時代につながる上向き景気の時代といっていい。こういう時に、文化の華が咲くんですよね。見事に初代團十郎は、時を得た。赤い隈取をしてスーパーマンを演じる團十郎、見物衆の役者贔屓と庶民信仰が重なって、悪霊や災厄や病魔などに打ち勝つパワーの象徴となった。「荒事」を創設し、その核の役者としての團十郎なのである。
 平成31年(2019)に十三代目の團十郎が誕生する。凄いな。ざっと340年の文化の伝承である。そしていずれ十四代目になる勸玄君が新之助を継ぐ。嬉しや。
 十二代目が團十郎を継いだのは昭和60年(1985)だった。ワシャはその時の写真集を持っている。『襲名全記録十二代目市川團十郎』(平凡社)である。表紙は傘を差す助六、まだ團十郎丈、お顔がお若い。「弁慶」「曽我五郎」「鎌倉権五郎景政」「外郎売」「信長」「鳴神上人」と3ヶ月にわたる歌舞伎座襲名披露は、まさに八面六臂の活躍である。まさに命を削っての大舞台、これが歌舞伎宗家に課せられた宿命なのかもしれない。
 これに十三代目が続く。大切な奥様を失って、子供たちを育てながらの、襲名はこれまた大変なことであろう。歌舞伎ファンにしてみれば、嬉しいばかりだけれど、現海老蔵丈のご労苦をはいかばかりであろうか。
 正直なところを言わせてもらう。十三代目襲名は、ワシャはあと3年待ってもいいような気がしている。要は、勸玄君が8歳になるくらいまで「團十郎」と「新之助」の同時襲名を取っておくのだ。現海老蔵丈が「新之助」を襲名したのが8歳で、そのくらいの年齢になれば分別も出てくるので、父の負担を軽くすることができるのではないか。現海老蔵團十郎襲名が父と比べると3年ほど遅いので、このタイミングになったのだろうが、勸玄君にはちと早いのではないか……と老婆心ながら心配をしてしまうのだった。
 このところ、歌舞伎役者の早逝が目立つ。これは松竹が役者を酷使しているからではないかと邪推している。一人で子育てをして、看板役者もつとめる。そんな海老蔵丈にはもう少し余裕を与えてもいいのではないか。役者を、緩やかに使って、長持ちさせることも大切なのではないか。340年続いている團十郎家をさらに百年、二百年と長らえさせるのは、現在の我々にかけられた責務のような気がしてならない。
 
 そうそう、歌舞伎つながりでもうひとつニュースを。
 スーパー歌舞伎ヤマトタケル」を造り出した哲学者の梅原猛さんがお亡くなりになられた。この人は、碧南市にある哲学体験村という不思議な施設(笑)の名誉館長で、その関連で何度か碧南での講演を聞きに行ったことがある。それに西尾市では、やはり梅原さんが創作したスーパー狂言「ムツゴロウ」
https://s.jtcf.jp/item.php?id=VZBG-1
で、大爆笑したものだ。
 ワシャは、梅原さんの書籍も何冊か持っている。『梅原猛著作集』(集英社)全20巻、『聖徳太子シリーズ』全4巻、『梅原猛の授業 道徳』(朝日新聞社)、『写楽 仮名の悲劇』(新潮社)、『考える愉しさ』(新潮社)、『将たる所以』(光文社)、『日本とは何なのか』(NHKブックス)などである。
 司馬遼太郎さんとの対談もあって、『日本人を考える』(文春文庫)では、「西洋が東洋に学ぶ時代」と題して意気軒昂な議論を交わしている。ただこの後、司馬さんと梅原さんは、空海の解釈により意見の対立をし、大喧嘩をして袂を別つのだが、司馬派を自任するワルシャワは、もちろん司馬さん贔屓なのであった。でも、時々は梅原さんの講演にも行っていたことは、前述のとおりである。司馬さんと敵対していたり、「9条教」の重鎮でもあった。発言にも偏ったところが見受けられたが、それはそれとして古代史の勉強にはなったことは確かだ。
『将たる所以』の中に社会主義に関する記述があったので、梅原さんの言葉として記しておきたい。
社会主義は、資本主義世界への批判から起った。資本主義社会は、欲望の跳梁する社会であり、差別の社会である。こういう資本主義社会を倫理化し、社会的平等を実現するために社会主義は生まれた。そしてこの社会主義に中から、きわめて性急に資本主義の悪を一掃しようとする急進的な社会主義マルクス・レーニン主義が生まれたのである。そのマルクス・レーニン主義が悪かったといって、社会主義そのものがまったく間違っているわけではあるまい。(中略)資本主義は堕落し、そして、貧富の格差はますます広がっている。このような時代に、資本主義を倫理化し、平等の原則を守ろうとする社会主義は、十二分に意味を持つのである。》

 ご冥福を祈る。