平成18年の師 その3

(上から読んでね)
 若桜木虔のノウハウ本も4冊ほど読みましたぞ。
《読書の際には、これらの項目(風景描写、心理描写、表情描写、台詞回しなど)に留意しながら、あくまでも感情移入するのではなく、長所は何か、欠点は何か……と綿密に分析しつつ、重箱の隅をつつくようにしてデータを作成し、読み終えた段階ではガリ勉学生の受験参考書のように本が潰れてバラバラになっている、くらいに読みこむことが要求される。》
う〜む、こんな読み方では娯楽にはならないけれど、ワシャには役に立ちましたぞ。
 丸谷才一の切っ掛けはなんだったか、忘れてしまった。ただどこかの本で丸谷の文章が巧いと評価されていたので、興味が湧いて何冊かを買ったわけだ。といっても4冊ですけどね。
 谷沢永一司馬遼太郎の影響ですな。『司馬遼太郎が考えたこと15』(新潮社)に「私事のみを」という短い文章があって、そこで司馬は谷沢のことを高く評価をしていた。
《小説は、いわば作り手と読み手が割符を出しあったときにのみ成立するもので、しかも割符が一致することはまずなく、だから作家はつねに不安でいるのである。》
《だから、いつもこの道の者は割符を持って砂漠を歩いているようなものである。私の場合、幸運だった。沙上でにわかに出くわした人が谷沢永一氏で、「これ、あんたのだろう」といって、割符の片方を示してくれた。割符は巨細なく一致していた。こんな奇蹟に、何人の作家が遭うだろう。》
 司馬は谷沢の洞察力について絶賛している。となると司馬ファンのワシャが谷沢を読まないわけにはいかない。それで10冊ほど購入して読んでみた。そうしたらば、この人はなかなかワシャの肌にあうんですなぁ。ううむ、『人間通』(新潮選書)などは名作と言っていい。『悪魔の思想』(クレスト社)は、少しばかり右色のスパイスが効いていて、好みの味だった。丸山眞男大江健三郎など12人をバッサバッサ斬りこんでいるのだ。佐高さんとは斬れ味が違うから読み応えがありますぞ。
(下の「その4」に続きます)