人生を変えた本

 人がその人生を変えるくらい衝撃的な本との出会いというものは、そうそうあることではない。ワシャの場合は二冊、それもきっぱりとこの2冊と言える本がある。

 

 最初の一冊は、この日記にもときどき顔を出す『燃えよ剣』。幕末の新選組副長土方歳三の生涯を描いた司馬遼太郎歴史小説である。

 司馬さんの歴史小説を「ライトノベル」と評したクソ評論家がいたが、司馬さんの小説は極めて読みやすいけれど、物語の奥行きは深いし、情報量もとんでもなく多い。そして哲学的な要素も含んでいて、噛めば噛むほど味が出てくるスルメ本なのだ。クソ評論家は、読みやすい上っ面のところだけを舐めてみて「粉っぽいな」と言っているに過ぎない。このクソ評論家を特定しようと思ったのだが、ここ1ヶ月くらいの間に読んだ新聞だったか雑誌だったか本だったか、すっかり失念してしまった。ムカッときた時に、この日記にメモっておかないといけない。反省反省。

 本題にもどしますね。若きワシャは『燃えよ剣』で男の、漢(おとこ)の人生を知った。土方歳三の潔い生き方を読んだ時点から、卑怯なことができなくなった。まさに一冊の本で生き様を変えてしまった。

 

 二冊目は20世紀の最後の年に手に取った『偽善系 やつらはヘンだ!』(文藝春秋)である。これは作家でジャーナリストの日垣隆さんの著作で、たまたま本屋で偶然手にしたのが切っ掛けとなった。

 ちょうどその頃、ワシャの同僚で飲み仲間だった悪友が出張先で死んだ。人生ってそんなものかと達観するような気持ちが湧いていた。だから、ワシャは凸凹商事の最前線にいたのだが、異動願いを出して文化関係の閑職に回してもらった。元々、歴史・文化・伝統などが好きだったから、そこで退職までの20年を過ごすのも悪くはないと思ったのである。

 しかし、日垣さんの著書と出会ってしまった。『偽善系』を読んだ途端に面白かったので、早速、日垣さんの過去の著作を手当たり次第に購入し読みまくった。そしてどの著作もが、それまで卑怯ではないが、ぼんやりと生きていたワシャに「喝!」を入れるものばかりだった。これほど一人の作家にのめり込むのは司馬遼太郎以来だった。

 日垣さんが、ワシャに「メディアリテラシー」を教えてくれた。今の「反朝日新聞」はここから構築されたと言っていい。また、仮説を裏付けるために「取材の重要性」を伝授してくれた。これは、その後の企画部門で大いに役立ったものである。そして「積極的に生きること」の大切さと、そのために「喧嘩をすること」の必要性を教示してもらった。気ちがいじみた読書の量も、日垣さん直伝で身に付いたものである。だってさ、日垣読書会の課題図書が10冊/1会なんて普通だったんだから。そんなので鍛えられて、読書が身に付いたとも言える。

偽善系』を手に取ってから、15年くらいのワシャの人生は、まさに日垣さんの影響を受け、模倣することに終始した。まずは「真似ぶ」だと思っていたからね。日垣さんがメルマガで「この財布がいい」というと、その財布を買い求め、以来、ずっとその財布を使っている。また、それまで尻のポケットに札入れを突っ込んで闊歩していたが、「格好悪いよ」という指摘で、尻のポケットから財布を鞄の中に移して、十数年経過している。これらは些末な例ではあるが、こういったものの蓄積が現在のワルシャワを形作っていると言っていい。

 駅前の書店が『偽善系』を置いてなかったら、今頃、ワシャは地元の歴史愛好会に所属する陶芸好きのオッサンになっていただろう。本との出会いはまことに恐ろしいものである。