遅れ馳せながら「ゲド戦記」

 ジャーナリストの日垣隆さんが、斎藤孝の『使える読書』(朝日新書)を推薦されていたので、さっそくe−honで注文して読んだ。
 その中で斎藤さんは、アーシュラ・K・ル=グウィンゲド戦記』(岩波書店)を紹介して「いまポジティブシンキングという言葉がもてはやされているが、ポジティブ一辺倒でいいのか?」と疑問を呈している。
《これはユング心理学でいうシャドウ(実現できなかった自分)を見つめるメッセージ文学なんです。つまり、自分のダークゾーンをしっかり見ろ、と。》
《生産的な面にだけ目を向けるやり方ではいつか人は破綻する。》
 ネガティブな自分と向き合わないと、実現できなかった自分がずっと追いかけてくるんだそうです。怖や怖や……
 ううう、『ゲド戦記』を読みたい、知りたい、と思ってしまったのですが、本を注文しても何日かかかってしまうので、ポジティブシンキングのワルシャワは、ネガティブな自分に追われるようにして宮崎吾郎のアニメ『ゲド戦記』を観に行ってきましたぞ。

 いやー、不人気映画の終盤というのは空いておりますなぁ。劇場内はワシャを含めて3人しかおらんかったわい。混雑とか行列が嫌いなワシャにはこの貸し切り状態は快適じゃった。

 さて、宮崎アニメの『ゲド戦記』である。ずいぶんと原作を改竄しているという話だったが、そのせいか《ユング心理学でいうシャドウ(実現できなかった自分)を見つめるメッセージ》という部分は強く出ていなかった。
 でもね、突込みどころ満載の映画だったのでそれなりには楽しめたのですぞ。

 う〜む、原作を換骨奪胎して物語自体を解りにくくしてしまったようだ。それに吾郎監督には荷が勝ちすぎていたのだろう。細かいディテールまで神経が行き届いていない。
 例えば、安い仕上げのアニメの常套手段である風や波の繰り返しが目についた。導入部分の見せ場であるホートタウンの全景も、絵が生きていないので書き割りを観るようで何の感動もなかった。港に入ってくる舟に影はないし、クモ様の小指は変な曲がりかたをしているし、テナーの農場は、まるっきりアイルランドの風景だし、「もののけ姫」のたたり神を模したコールタールの化け物も不気味さがまったくなかった。羊が草むらをゆくシーンでは子羊が浮いてしまっているし、馬蹄の音が映像の距離感と乖離しており違和を感じる。まだまだあるんですが書ききれません。
 ついにワシャが求めていたモノは映画では語られてなかった。いやはや仕方がないので、やっぱり原作を買うことにしよう。やれやれ。