永遠の0

 百田尚樹さんの原作は、ずいぶん前に読んでいた。その時も涙が止まらなかった。新年にはいってたまたまコミックの『永遠の0』(双葉社)全5巻を入手した。原作がよかっただけに、それほど期待はしていなかったんだ。しかし……これがまた泣けた泣けた。
須本壮一さんの画がいい。主人公の宮部久蔵などはイメージしていたとおりだった。登場人物もそれぞれが個性的で、原作のエピソードを体現するコーナーのメインとしてきっちと描かれている。零戦をはじめとする兵器の画も切れ味がいい。
 物語も原作をうまく構成しなおしてある。脇の細かいパーツがいくつか省略されていたが、まったく気にならない。
 まだ小説もコミックも読んでいない方もいると思うので、具体的には言えないけれど、ラストのラストで零戦が特徴的な飛行をするんですね。これが、小説のほうでイメージしていたとおりの画が、コミックで描かれていたので驚いた。もちろんそのシーンでも滂沱の涙であったことは言うまでもない。
 戦闘機や軍艦、あるいは戦記にあまり興味のない女性には、原作からのアプローチよりもコミックからのほうが取っつき易いと思う。
 おそらく小説にしろコミックにしろご一読をいただければ、先の戦争に一般の日本人がどう対応したか、立ち位置のようなものが垣間見えるはずである。もちろん何百万という悲劇の中のほんの一部でしかないが、それでも知らないよりも知っているほうがいい。戦後、左翼が喧伝した「日本軍=戦争=悪」という単純なものではないのである。

 
 ワシャの母方の大叔父は二度大陸にわたって、戦争をしている。その人のことは昨年の8月に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20130817
 さすがに戦場をくぐってきた人だけに、山歩きなどでも圧倒的な強さを発揮した。まだ幼かったワシャを背に担いで、一山でも二山でも歩き通したものである。普段は戦争のことはあまり語らなかったが、それでも興に乗ると訥々と話してくれた。
 明治30年生まれのワシャの祖父は戦場に行っていない。戦場に駆り出されるのは、その一世代後以降になる。しかし、やくざな商売をしていたので(やくざではないですよ・笑)、交友が多く、その中には元兵隊なんていう人も何人かいた。
 今、思い起こせば、近所にも元兵隊だという人が住んでいた。物腰とか口のきき方からみると、少なくとも堅気じゃなかった。その人は祖父のことを「にいさん」と呼んでいたので、年下だったのだろう。祖父はその人を「かいぐん」と言っていた。おそらく「海軍」のことだろう。
 その長屋にいくと戦時中の写真を見せて戦争の話をしてくれたものだ。かいぐんさんは饒舌だった。自分が大人になってみれば、その饒舌さは逆にいかがわしいが、それでも近所の子供たちは目を輝かせて聞いていたものである。
 そんな環境だったので、戦争というのは比較的身近な歴史だった。そりゃそうでしょ。ワシャが6歳のときっていうのは、宮部久蔵が敵航空母艦に特攻を敢行して19年しか経っていない。だから周辺に戦場体験者や戦争体験者が数多いて、いろいろな話を聞かされたものである。
 すでに戦争の知識についての素地が培われていたので、その後の左翼教育に曝されても免疫ができていた。「日本軍=戦争=悪」という洗脳には騙されなかった。
 歴史というものは一面的なものではない。支那中国や朝鮮や左翼が口汚く罵っているのは、本当に些細な一面――実際には捏造なのだが――でしかないのだ。
 大叔父やかいぐんさんや、その他の戦争体験者に聞いた話は、日本軍は鬼でも悪魔でもなかった。 鬼も悪魔もいただろう。でも人はそんなに鬼にも悪魔にもなれない。なっても瞬間のことだろうし、存在してもごくごく少数の特異な人だったろう。自らのことを考えてみればいい。そう簡単に鬼になれますか、悪魔に変身できますか、そういうことなのである。
『永遠の0』に戻るが、宮部久蔵という26歳の若者の評価ですら、人それぞれで違う。

「奴は、宮部久蔵は、海軍航空隊一の臆病者だった!」
「確かに宮部は勇敢なパイロットではなかった。しかし優秀なパイロットだった」
「宮部の飛行機を撃ち墜とす日が来るまで絶対に死なん。俺の夢は宮部と戦い、俺の機銃で奴の機体を蜂の巣にして奴を叩き落とす事だ」
「宮部は戦場でいつも逃げ回っていた」
「ミヤベは本物のエースだった」
「この男は死にたくないと逃げ回る臆病者なのだ」
「日本にサムライがいたとすれば――奴がそうだ」

 いかんいかん、上記の言葉を拾うために資料としてコミックを繰っていたら、それだけで泣けてきちゃった。トホホ。
 映画『永遠の0』が公開中である。岡田准一さんが宮部久蔵を演じる。顔立ちなどは岡田さんでいい。しかし問題は身長である。宮部久蔵は背の高い男として描かれている。小説・コミックには長身ゆえのドラマも展開している。そのあたりをどう映画は織り込んでいるのだろう。そのあたりも楽しみなので、そのうち見に行くべ。