古里が消えていく

 長野県でも福島県でもそうなのだが、莫大な利権を生むために意味のないダムが造られ、古里が湖底に消えてゆく。岐阜県徳山村もそうだ。サイクリングで何度も走ったが、いかにもトトロが住んでいそうな昭和の古里だった。それが今やひたひたと水没しはじめている。
 嗚呼、県知事に梶原などという愚物を戴いたためについに徳山は儚く消えてしまうのか。せめて梶原ではなく田中康夫だったなら「脱ダム宣言」で徳山ダムを止めてくれただろうに、残念ながら岐阜にはヤッシーは現れなかった。
  徳山ダム、当初は治水を目的に計画が進められ、その後、電力需用が増大したために水力発電ダムに計画変更された。その後の下流域の工業化に伴ない水需用が伸びたために水の供給をするダムに変貌していった。その水さえ今は下流域で必要なくなっている。時代の状況によって、その都度その都度、その建設理由を変更してきたおかしなダムと言っていい。
 2006年の時点で、電力も水も徳山に頼る必要はない。ダムで治水をしようなんて発想は昭和の硬直した思想だ。
田中康夫氏はその著書『田中康夫主義』(ダイヤモンド社)でこう言っている。
《治水の基本は、こまめな浚渫と護岸の点検補修、そして上流域の森林整備だ。》
 徳山周辺の森林を守るべき村人はこのダム建設のために古里を追われ、山に手を入れる人手はもう存在しない。
 この国の行く末を考えている霞ヶ関のエリートのやっていることはこの程度でしかない。岐阜県で一番偉い人と思っていた元エリートの梶原くんだってあの程度のオッサンだったでしょ。

 徳山小学校はまもなく90メートルの水底に沈む。