愚者 その1

 明治2年9月4日、京都木屋町薄暮に襲撃事件は起きた。
 この時期、明治新政府の兵部大輔大村益次郎は京阪の視察のために木屋町の宿所に滞在していた。大村と共にあったのが金沢藩士安達幸之助、大村益次郎塾の塾頭を務める俊英でこの時、大村と同年の46歳。もう一人は、長州萩の人で静間彦太郎、大隊司令官試補で34歳だった。両人とも大村を守って刺客団と斬り結び亡くなっている。大村の家来山田善次郎も主を守って闘死しているので都合4名が理不尽なテロによって命を失った。この4名とも招魂社(靖国)に祭られている。
 このテロは長州藩士を中心とする攘夷派によって起こされたのだが、実は黒幕がいる。薩摩藩士で弾正大忠の海江田信義という男だ。彼の男、才覚はない。たまたま西郷や大久保と近い位置にいたというだけでその地位を上げてきた人物であり、時としてこういった愚物は時代を壊す役割を果たすことが多い。この事件もまさにそうだった。大村益次郎という人物を見極めるだけの力量がこのバカに備わっておれば、明治日本は優秀な合理主義者を失わずに済み、延いては日露以降の愚かしい精神主義には突入しなかったかもしれないのだが、バカはバカだった。
 海江田、大村が自分の心酔する西郷隆盛に不遜だったとか、あるいは大村に己のバカを見ぬかれたが故に、それを逆恨みして凶行を段取ることになる。愚物はこういった手際だけはいいので厄介だ。
 海江田は長命し明治39年まで生きている。奈良県知事、元老院議員、枢密顧問官を歴任するがさしたる功績はない。功罪を問えば罪の部分が極めて大きい男だったと言える。
(「愚者 その2」に続く)