人材と人罪

ウラシマさんの日記
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に《幕末の志士、そして明治以降多数の政治家や軍人を輩出した長州が今でもくすんだままなのは、有能な奴が東京にこぞって引っ越して消えた所為なのか》とあったので、そのことについて少し触れますね。

 確かに、長州は幕末の騒乱に際して数多の人材を輩出した。惜しむらくはそのことごとくが明治維新を迎えられなかったことにある。吉田松陰、赤川淡水、高杉晋作、有吉熊次郎、久坂玄瑞大村益次郎来島又兵衛入江九一寺島忠三郎、中村道太郎、吉田稔麿・・・・・・これらの俊英たちがいなくなって、二流どころの伊藤利助(博文)、井上聞多(馨)、山県小輔(有朋)あたりの台頭を許してしまう。優秀な人材の下にくっついていた功名狙いの跳ねっ返りが国家権力を握ってしまったところに明治日本の悲劇があると言っていい。
 明治の初めに二大汚職事件が起こる。「尾去沢鉱山事件」と「山城屋和助事件」である。この不祥事に井上馨山県有朋が深く関与しているのだ。このことからも、長州勢のものの悪さがわかるでしょ。
 この山県が大抜擢をする長州閥乃木希典なんかもモノが悪い。この精神論者がどれほど多くの若者を大陸で犬死させてしまったことか。
 また、昭和の大戦前夜に海軍強硬派の親分だった末次信正や、その舎弟で、日独伊三国同盟を頑強に主張した石川信吾、岡敬純は、名将と言われる米内光政、山本五十六とは対極にある愚将の筆頭である。長州閥の彼らが戦前の日本を滅亡に導いたとも言える。

 このように明治以降に長州から中央へ出ていった人物も大したことはないわけで、なおかつ、現在の長州がくすんだままだとするなら、それは未だに幕末に払い出した人材のツケの回収ができない所為ではないだろうか。