大村益次郎

 昨日、「司馬遼太郎ベスト10」を私見として出した。第2位が『花神』である。昭和44年から朝日新聞の夕刊に2年間連載された。近代兵制の創始者である大村益次郎の生涯を描いた長編小説である。靖国神社の参道に立っているあの人ね。
 明治維新嘉永6年(ペリー来航)以来、数多くの志士たちが現われ、その命を歴史に放り投げるようにして道を造った。維新の当初には革命的思想家の吉田松陰が出る。中盤は高杉晋作などが現われて、松陰の思想を現実のものに変換する作業をこなす。最終盤に大村が忽然と登場し、革命の仕上げをしていく。
 大村は徹底した合理主義者であった。このため強い反感と憎悪も買ってしまう。結果、薩摩閥の海江田という嫉妬に凝り固まった三流志士に謀殺されるわけだが、死の床にあって最期まで政府軍の兵制を心配しつつ、あらゆる指示を出して逝く。
 司馬さんはこの見事な生き様をした男を短編にも書いている。『鬼謀の人』である。長編に先立つこと5年、おそらくこのあたりから『花神』の構想を練り始めていたものと思われる。『花神』の概要版になっているのだが、それはそれで短編として鋭い切れ味を持っている。

 さて「希望の人」である。「鬼謀」ではなくてね(笑)。「希望の人」小池百合子は、日本の政界を大騒ぎに巻き込んだ。ある意味で「鬼のような謀り事」をする平成の大村益次郎かもしれない。「日本国のため」その一点に純化していくならば、ゆくゆく九段坂に小池百合子銅像が立ってもいい。しかし、時おり顔を見せる嫉妬の念、例えば厚化粧と言われた石原慎太郎氏を力ずくで晒し者にしていく姿が、自己への侮辱など屁とも思わぬ大村とはかなり違う。もう少し自己愛を捨てないとなかなか大村益次郎にはなれない。ということは、この人、自己を捨てるといい政治家になるかもね。

 大村と言えば、見た目は大村益次郎と言われている大村愛知県知事が昨日、小池東京都知事、松井大阪府知事と「3知事会談」を行った。どの番組を見ても、新聞の写真を見ても、終始上機嫌だったことがわかる。ただし、NHKニュースでも民放でも、小池知事と松井知事のコメントは流すのだが、大村知事の発言は出なかった。背景としてあるだけで、意見そのものには何の価値もないということをマスコミもよく知っている。
 朝日新聞も厳しい。今朝の1面である。
希望の党代表の小池百合子東京都知事と、日本維新の会代表の松井一郎大阪都知事らが30日、大阪市内で記者会見し……》
 と、おらが県の知事様を「ら」にしてしまっただよ。「大村秀章愛知県知事」って入れたってさ9文字だべさ(笑)。
 だがそれも仕方がない。上昇志向だけで愛知県知事になった大村氏には、なにしろ内容がないよう。東京大学法学部出身だからペラペラと弁は立つ。しかし語ることが詰まらないのである。
 少なくとも小池知事、松井知事ともに自分の頭で考え、自分の言葉で話している。しかし、大村知事は知識だけをあちこちから切り貼りをしただけの「音」でしかない。おらが県の知事さん、もうちょっと頑張ってくれ。苗字が一緒で、見た目も大村益次郎に似ているのだから。

 余話として、「週刊朝日」の編集長だった川村二郎氏が「WiLL」の11月号に「学はあってもバカはバカ」という偏差値秀才論を書いている。この人の論すべてに首肯はできないが、その中で引いていた白洲正子さんのエピソードには頷いた。
 白洲家に池田勇人蔵相の秘書官として出入りしていた宮澤喜一というエリートを白洲二郎は絶賛していたという。しかし、正子さんはずっと「この人は頭だけのひとじゃないか」と思っていたそうだ。後年、宮澤が馬脚を顕したとき正子さんは「次郎さんより、私の目のほうが正しかったでしょ」と楽しそうに言っていたそうである。
(メモ)秀才論