マスコミ人がへんだ!

 天声人語は言う。
「自宅を犯行現場とする『家庭内殺人』は、世の中に衝撃を与えた。戦後60年で都市化が進み、都会の多くから庭が失われた。土の庭はあってもなくても、小さな『こころの庭』があれば、と思う。」
 え?何を言いたいの・・・このところ立て続けに起きた15歳の少年による家族殺人のことを話題にしているんだよね。確かに東京板橋の少年と福岡市の少年の家族殺しは衝撃的だった。そこまではいい。で、突然「戦後60年で都市化が進み、都会の多くから庭が失われた」と、庭の話になり、結句の「こころの庭」に強引につなげてゆく手法はいただけないねぇ。
 昨日のテレビ・スクランブルでコメンテーターの川村晃司が、福岡の兄殺人に関連してこんなことを言っていた。
「学校がよく使う常套句に『その生徒は真面目な生徒だった』というのがあるけれども、そんなコメントはおかしい。生徒はそれぞれ個性的だ。『真面目』という言葉で一括りにするのは間違っている」
 おかしいのは川村さんで、間違っているのも川村さんだよ。こんな偏った見かたしかできない人間をコメンテーターとして置いている「テレビ・スクランブル」もおかしい。(テレビ・スクランブルのコメンテーターは中西礼、北野大などへんなコメンテーターばかりだけどね)
 話がずれてしまった。もとに戻そう。
 学校関係者が「真面目な生徒だった」というのは仕方がない。事実、学校では真面目だったのだから。マスコミで踊るコメント屋にしてみれば「殺人事件を犯した15歳」は特別な人種に仕立て上げたいのだろうが、学校の中では何百分の1の存在でしかなく、そこで猫をかぶっていれば「真面目な生徒」としか言い様がない。詰まらないことにケチをつけているんじゃないよ。
 どうも朝日新聞関係の偉い人というのは眼鏡にフィルターが掛かっているようで、なんでもかんでも体制側の批判につなげてゆくところがある。この手法は朝日のお家芸と言えるかもしれない。
 昨日、近くの中学校に所用で顔を出した。そこでたくさんの中学生と会った。なかには中3もいたから15歳の子もずいぶんといただろう。すっとぼけた格好をしているヤツもいるけれど、一様に表情は明るく、挨拶をする声も元気だ。
 同じくワイド・スクランブルに出演していた女性ジャーナリストが「社会が壊れている・・・」とかなんとか怖い表情で言っていたが、少なくともワシャの行った中学校ではそんなことはなかったぞ。針の穴から天井を見ておかしな評論をしているんじゃないよ。