台風一過である。書庫の西の窓からみえる空が千草の色だ。
夕べの10時半頃か。吹き上げていた風がぴたりと止んだ。目にはいったと感じた。ワシャはキッチンのドアから外へ出てみる。雨は降っている。しかし風はない。隣家の細く頼りないキンモクセイも静かなものである。台風はすでに九州の西の海上で壊れていたので、東に進む低気圧に目はない。
今回の台風でJR西日本が「タイムライン防災」(先を見越した防災)をいち早く取り入れて、全線を運休したことは評価できる。こういったことは一鉄道会社に判断させるのではなく、国が率先してやれいいのだ。台風が近づいてくる前に、企業も学校も交通インフラも停止して身構えることだ重要だと思う。そのことが被害を最小限に食い止めることにつながる。
それはさておき、昨日の台風報道についてである。すでに台風は九州で壊れていた。しかし台風としては存在しており、その雲の塊が日本列島をなめるようにして進んでくる。JR西日本のように先手を打って災害に対応することはたとえ空振りになっても大切だということはくどく言う。しかし、そのこととマスコミが若い記者を、海岸線に立たせて、あるいは路上に立たせてレポートさせることとは違う。それば防災上、なんの役にも立っていない。スタジオのキャスターらはアリバイのように「くれぐれも気をつけてレポートをお願いします」と連呼しているが、そもそも暴風雨の中にレポーターを立たせる意味がない。その中継を見ているのはほとんどがこの列島に住む人々で、台風のなんたるかは、海の荒れ具合、風雨の状況を見ればおよそ想像がつく。タイムライン防災で、事前に海岸線にカメラを設置しておけばいいだけのことである。
夕べの現場からの中継で笑ったのは、ヘルメットにカッパ、長靴といった重装備の出で立ちをしたレポーターがスタジオからのキューを待っていたら、風雨が止んでしまったのだ。おそらくレポートの内容も事前に考えていたのだろう。「叩きつける雨で路面がはっきり見えない状況になっています」って言っているのだけれど、雨が降っていないので路面はしっかりと見えている。「横殴りの雨が……」って、雨降っていないじゃん、というお粗末。
マスコミ関連でもうひとつ。
昨日の「ワイドスクランブル」
http://www.tv-asahi.co.jp/scramble/
での話なのだが、パキスタンのマララ・ユフスザイさんとインドの児童人権活動家のカイラシュ・サティヤルティさんが同時にノーベル平和賞を受賞した話になった。その時にコメンテーターの女性弁護士がこんなことを言っていた。
「パキスタンのマララさんとインドのサティヤルティさんが同時に受賞するということに不思議なご縁を感じます」
え、このオネーサンなにを言っているのかにゃ?こんなコメントをしてお金をいただいているとしたらコメンテーターとは気楽な稼業ときたもんだ。視聴者をバカにするのもええかげんにせいよ。
こんなもの偶然であるわけがない。ノルウェー・ノーベル委員会が印パ問題を念頭において選考したに決まっているでしょ。そのあたりに踏み込んでコメントしなければ何の価値もないわさ。いくら家族法が専門だからといって「不思議なご縁」はないだろう。そのあたりの知識もないコメンテーターってなんだろう。なんでも口にすればいいというものではない。もう少し頭の整理をしてコメントをしないと恥ずかしい。