文久3年(1863)5月10日、長州藩は下関海峡に停泊していたアメリカ商船に攘夷の砲弾を撃ちこんだ。これは4月20日に幕府が朝廷に対し上奏した攘夷の期日であったことから、沸点に達していた長州藩が暴発をしたというものである。その結果として、英仏蘭米の四カ国連合艦隊の来襲をうけ、下関海峡の砲台はことごとく占領されてしまう。この敗戦を機に、長州藩の攘夷思想は大きく開国論に転換してゆくことになる。140年ほど昔の話である。
なあんだ140年も昔から、欧米というのはよその国にちょっかいをかけては、自国の商船を守るだの、自国民の安全をはかるだのと、言い訳しながら他国を侵略していたのね。考えてみればぜんぜん進歩していないじゃないの。
下関の前田砲台を占拠する欧米の兵隊たちの有名な写真がある。100人ほどの欧米の兵士が写っている。なんだかイラクを占領している諸外国の兵士とオーバーラップしてしまう。国や郷土を愛する人間からすれば、他国の兵が大義もなく駐留を続けるということは心地よいものではない。それは江戸時代の日本人も、現代のイラク人も変らないだろう。
人質の問題は終息した。アメリカのやっていることもフセインとなんら違わないことも暴露された。いつまで戦争好きのブッシュにつきあっていくつもりなんだろう。
ちなみに今日は5月11日です。