中岡は苦労する

《仕事というものは騎手と馬の関係だ、と竜馬は、ときに物哀しくもそう思う。いかに馬術の名人でもおいぼれ馬に乗ってはどうにもならない。少々へたな騎手でも駿馬にまたがれば千里も征けるのだ。桂や広沢における長州藩、西郷や大久保、五代、黒田における薩摩藩は、いずれも千里の良馬である。土州浪士中岡慎太郎にいたっては、馬さえないではないか。徒歩でかけまわっているようなものだ。》
 司馬遼太郎竜馬がゆく』の後段に出てくるフレーズである。ドラマのシーンとしては、船中八策をひねる出す前、一介の浪士から天下の坂本竜馬に変貌しつつあるころの下関。料亭の「魚松」で竜馬は、桂小五郎など長州志士と痛飲している。そこに東奔西走している中岡慎太郎が現われる。
 維新において薩摩藩長州藩は駿馬だと司馬さんは言う。竜馬や中岡の乗るべき馬は土佐藩である。しかし山内容堂という「己のみが賢しい」と思っているバカが仕切っているので土州は駄馬ですらない。
 司馬さんはバカを否定しているわけではない。むしろ単なるバカには温かい目を持っている。司馬さんがもっとも憎むのは「賢しいと思っているバカ」なのである。これが時代を、事業を壊す。山内容堂などまだかわいいほうで、類型はどこの組織を叩いてもいくらでも出てくる。大きなところを特筆すれば、昭和前期に統帥権を持った軍官僚がまさにそれであった。何をすべきかも、どう使うのかも知らず権力を握ってしまった指導層の喜劇。使われる兵士、銃後の民にとってこれほどの悲劇はないだろう。
 なにを言いたいかというと、いつの時代も奔走する最前線は苦労するものだということである(笑)。