征夷大将軍!

 文久3年(1863)3月4日である。旧暦であるので今のころあいでは2月の下旬といったところ。この時期は暖かな日が続くかと思えば、急に冷え込んだりを繰り返すので、季節感としてはそう違わない。
 この日に徳川十四代将軍の家茂が上洛した。長州藩に操られた攘夷公家の画策の成果である。この上洛を待ち受けていたのが、長州藩士の高杉晋作であった。吉田松陰の流れを受け継ぐ彼らが運動をして将軍に足労をかけたと言えなくもない。
 天子に随伴し、徳川家茂が加茂行幸に行く道すがらのことである。馬上にあった家茂に「いよう、征夷大将軍!」と大向こうから声が掛かった。高杉晋作である。このシーンは映画やドラマで何度も再現されているし、高杉のエピソードとして小説などにも常に書かれている。また、いろいろな文献にも残っていて、史実として間違いない。
 江戸期、身分の差は厳しい(と言っても支那や朝鮮のようなことはなかったけれど)。将軍は武家の頂点にいる。その下に旗本や大名があり、外様大名に仕える藩士など股者の中でも最も低い扱いをうけた身分で、将軍の顔を拝むことなどありえない。それが歌舞伎の舞台でもあるまいに……混乱期である。
 それにしても高杉という男は「はねっかえり」ですね。坂本龍馬でも、西郷隆盛でも、ましてや大久保利通など、間違ってもこういった行動にはでない。この奇異な行動を見る限り、もし高杉が維新を生き残れたとしても、政府の行政官としてはおそらくは勤まらなかっただろう。ある意味、高杉は一番カッコイイところで世を去っていった。
 雛祭りを過ぎると、いつもこのこのことを思い出す。