読書会

 昨夜、地元の読書会。課題図書は岡潔岡潔対談集』(朝日文庫)だった。岡潔新潮文庫のプロフィールには「日本数学史上最大の数学者」と紹介されている。ワシャ的には数学の先生というより情緒の先生だと思っている。

『情緒と日本人』(PHP文庫)などを読んでいただければ、「情緒」のことや、岡先生が憂国の志であったことが理解していただけるだろう。

 課題図書にもどる。『岡潔対談集』は4人の著名人と個々に対談をした記録である。のっけが司馬遼太郎、これでワシャはハマったんですけどね。次がやはり大作家の井上靖、3人目が大脳生理学者の時実利彦、4人目が俳人山本健吉となっている。

 司馬さんとのやり取りでは岡先生、ずいぶんとのっておられるようで、読んでいてもいいテンポで話が進んでいく。まぁお相手が座談の名手と言われた司馬さんですからねぇ。

 そんな中で両氏が、幕末・明治の頃、欧米先進国は日本がかなりうるさい国であることを知っていたということを同意した。そこから司馬さんと岡先生の話が広がっていく。

司馬「イギリス政府は、戦争になると、内陸戦でこっちがやられると思った」

岡「そりゃそうですよ。オール・オア・ナッシングのナッシングで立ち向かうのは日本人だけです」

司馬「それが、案外日本を列強の侵略から守らしめたことになるだろうと思います。とすると、いま日本列島を守るのに、なまじっかわずかな兵隊やジェット機や戦車をそろえるよりも、もし外国人が侵入してくれば、総員ゲリラになるだろうと。その可能性、民族的気配を感じれば、攻めてこないでしょう」

 ううむ、この対談が昭和40年代の前半である。この当時の日本は、しっかりと大東亜戦争を記憶を持っている大人がつくっていた。その頃なら岡先生、司馬さんの言うとおりなんだけど、この対談から半世紀以上が過ぎ、日本人は腑抜けになってしまった。おそらくご両所が今の日本、日本人を見たとしたら、絶望するのではないだろうか。

 この段落の最後で司馬さんがこう言います。

大東亜戦争に踏みきったのは官僚です。軍人、文官を含めての官僚です。官僚が戦をやって勝てるはずがありません」

 仰るとおり。そのフレーズの横にワシャは鉛筆書きをしている。「官僚が政治をやってまともになるはずがありません」と。

 その次のページで、メンバーのパラピ君から質問が飛んだ。

 司馬さんの言う「老荘のいう無の姿が、日本の天皇の理想ですね。“無為にして化す”・・・」に応じ、岡先生が「老荘の言う無であって、禅のいう無ではすでに足りません。禅のいう無はその下に置くべきです。“無為にして化す”全くそのとおりです」と発展させた。このやり取りが解らないから教えてほしいと言うわけだ。

 ううう、こいつは難しいところを攻められた。「老荘の無」と「禅の無」、ワシャの浅薄な知識では、まともに答えられませんでした。一日経った今でも、明解には説明できません。これはちょっくら調べないいと・・・。

 てな感じで、とにかく、本の最初の第一章からこんな調子で読書会は盛り上がったのでありました。よし、さっそく宿題を片付けるとするか。今夜は徹夜になるかも(泣)。