司馬遼太郎の『この国のかたち』の中に「日本と仏教」という一編がある。その中のフレーズを引く。
《鎌倉仏教はその後日本人の思想や文化に重大な影響をあたえるのだが、その代表格はなんといっても親鸞における浄土真宗(教団成立は室町時代)と、禅宗にちがいない。禅宗はともすればあいまいになりがちだった仏教を、本来の解脱的性格にもどした点で、まことにかがやかしい。》
この後の文章がずっと浄土真宗について書かれているので、禅宗についてはこの文章の後段だけしかない。司馬さん、宗教についてはかなり語っている。とくにご自身が真宗門徒であるだけに、浄土真宗については詳しい。産経新聞京都支局におられた頃は、大学と宗教が担当だったので、その知識は広範にわたっている。『空海の風景』で弘法大師の研究もしていることから、真言密教についても多くを語っておられる。
ところが禅宗についての文章は、あまり見かけない。講演会などでも、他の宗教についてはいろいろと話されるけれども、禅宗、ことに「禅」については、あまり触れておられない。ワシャが目にしてないだけかもしれないが、文章としては少ないような気がする。
とは言え『宮本武蔵』という作品を書いておられる。禅をテーマにして書いたわけではないが、極めて禅的に生きた武蔵が主人公なので、司馬さんの禅に対する思いのようなものが垣間見える。
作品の冒頭に画家としての武蔵が描いた「枯木鳴鵙図」(こぼくめいげきず)が出てくる。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/910-898c.html
これですよね。これを司馬さんは文章で切り取っている。
《みごとな潑墨で水辺の茂みがえがかれ、枯木の枝が天にむかってのびている。その先頭に、鵙(もず)がいる。するどくはげしく鳴き、やがて弦が切れたように鳴きやみ、その瞬間にひろがった天地の枯れはてた静寂というものが、この絵ほどみごとに表出されているものはないであろう。》
鈴木大拙『禅と日本文化』(岩波新書)には、牧谿の「叭々鳥図」
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=CRTU8eeYnw8J&p=%E5%8F%AD%E3%80%85%E9%B3%A5&u=www.moaart.or.jp%2Fcollection%2Fchinese-paintings11%2F
を引いて、「禅」が日本文化に強い影響を及ぼしたものの例示をしているが、まさに、武蔵の「枯木鳴鵙図」はその結晶と言ってもいいだろう。そういった意味からいえば、司馬さんは『宮本武蔵』で「禅」のなんたるかを語り尽くしている。
同じく『禅と日本文化』の中に、茶人が悪浪人と決闘をする話がでてくる。単なる茶の宗匠と、腕に覚えのある浪人との試合である。その勝敗は目に見えている。しかし、茶人は「侍らしい死に方」を望み、ある剣術師範に「死に方」を乞う。師範は茶人が茶の湯を極めた人物と見極めて、「茶に接するように剣にも接すれば恥ずかしくない死に方ができるでしょう」と指導をした。
茶人は、師範の言われるとおり、心をしずめ茶をたてるように浪人と対峙したのである。「無意識の体現者」として、死を覚悟し浪人の目の前に現われた茶人に、ついに打ちこむことかなわず、浪人はほうほうの体で退散したという。
『禅と日本文化』には、仏光国師のエピソードも織り込まれている。「電光影裡、春風を斬る」である。そのあたりのことがここに書いてある。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20131020/
生死のきずなから解放されたものは強い、ということなのだが、ワシャにはまだ極められぬのう。
「喝(カーツ)!!」