自分に「喝!」

 6月11日にワルシャワ家の老父の葬について触れた。葬儀自体は芒種(6月6日)に終えている。家族葬にはしなかった。亡き父は交流範囲が多く、一方的に門戸を閉じてしまうことを避けたのだ。しかし、親族以外には積極的に連絡をしなかった。それでも情報というものは伝わるもので、広い葬儀場を借りておいてよかった。

 ワシャは葬式などというものを主催したことがなく、もちろん行ったことは何度もあるけれど、せいぜい通夜・葬儀くらいのことで、せいぜい骨上げくらいまではやったかなぁ。でも参列者の域を出なかった。

 それが喪主ともなるとこれ程、雑事が多いのかとびっくりしましたぞ。もちろん病院から老父を引き取って、遺体安置、枕経、葬儀場の手配、火葬の予約などなどは、葬儀社がやってくれた。

 でもね、それ以外にやることの多いこと多いこと。好きなこと、興味のあることで走り回っているのはそれほど疲れないんだけど、突然降ってわいた、経験のないことを僧侶や葬儀社、長老らの指示でこなしていくというのは、ワシャ的にはかなり過重でしたぞ。

 併せて、二七日(ふたなのか)を自宅でやることになり、それこそちょっとした引っ越し作業をここ3日ばかり続けてきた。これが大変だった。なんだが学生時代に1週間ほどスキー合宿に山に入ったことがあったが、その時の疲労感によく似た感じかなぁ。

 そんなことでバタバタしていて、玉三郎丈の「牡丹灯籠」には行けなかった。ずっと楽しみにしていたのだが、急遽、友達にチケットを渡して、他の人に行っていただいた。

 そしてなんと昨日である。地元での瀧川鯉昇師匠の落語会のチケットまで用意してあったのだが、二七日の準備、買い出し、その間に父の知り合いの訪問なども重なって、すっかり落語会を失念してしまった。

 夕方になってSNSを確認したら友達から「いい席を確保しましたよ」というメールが入っていて「しまったー!」てなことですわ。

 師匠とは長いお付き合いなので、ぜひとも鯉昇フラが観たかったし、師匠の古典を聴きたかったなぁ。

 耄碌したか、ワルシャワ。葬儀のひとつやふたつでアタフタしてんじゃねーぞ。