なんとかの寄せ集め

 正午を過ぎてしまった。

 普通、この日記は午前中の早い時期に書く。このところ少し遅れますけどね(笑)。

 今日は、早朝から野暮用があり、その後、地域の事務所に顔を出さなければならなかった。それから、凸凹商事に行き、関係部署を2つ回った。途中で懐かしいOBとも再開し雑談をしばし。

 立ち回り先のひとつは災害関連部局で、そこの課長が今週末から能登半島に入るということを聞いたので、陣中見舞いのつもりで立ち寄った。

 ワシャも凸凹では、一時期災害対応をしていたこともあり、いろいろな情報交換をしたんですね。

 この日記にもたびたび書いているが、ワシャは防災担当だった時に、多くの災害現場に行かせてもらった。とにかく「南海トラフ地震」を懸念する地域にいる以上、災害の現場をこの目で見ておきたかったのである。

 今回の地震の際にも、仲のいい災害NPOから「現地に入りましょう」とお誘いがあった。めちゃめちゃうれしかったが、電話を横で聞いていた家人から「NO」が出てしまった。2日前にぎっくり腰をやっていて、湿布を貼って横になっていたんですわ。ワシャは「それでもいく!」と言い張ったが、向こうで腰が悪化して、それこそ病院のお世話にでもなれば、被災地の足を引っ張ることにもなりかねない。

「次の機会もありますから」ということで、今回は断念した。残念!

 だから、現地入りする後輩を激励したかったのである(泣)。

「現地、現場に入って現物、現実を見ろ。真実を見極める知識を蓄えろ」

 これは、13年前の社員研修で若い係長たちに伝えた言葉だった。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/20110616/1308175335

 それをまた偉そうに言ってしまいました(笑)。それでもその課長は力強くうなづいていたので、多少は伝わったかなと思っている。

 

 さて、そのことを踏まえて、昨日の日記とも多少の関連がありそうな話に触れたい。

 今、書庫の大規模な入れ替えを行っていて、いろいろな資料があちこちから出てくるんですわ(悲鳴)。

 無視すればいいんだけれど、どうしても読み込んでしまうんですね。雑誌や新聞からスクラップしたものが山のようにあって、2016年9月9日の「週刊ポスト」の記事が出てきた。井沢元彦の「逆説の日本史」である。タイトルは《組織を滅ぼす「馬鹿トップ」はなぜのさばるのか?》というもの。

 井沢さん、ここで「軍官僚」について触れている。いわゆる戦前のエリート中のエリートの「軍刀組」と言われる連中のことをこう言っている。

《組織にとって最もトップにしてはいけないのは、幼稚園児でも持てるはずの「常識」を持っていない人間である。ところが帝国陸軍においてトップとなったのは、そうした人々であった。》

 なぜ幼稚園児でも持っているはずの「常識」を持っていないのか?

 それは、幼稚園児のころから受験、受験、受験で知識の詰込みばかりを優先したがために、普通の常識をどこかに置き忘れてきてしまったのである。

 井沢さんが、評論家の山本七平さんの『私の中の日本軍』(文藝春秋)から、このクソエリートどもに地獄に突き落とされた兵士の発言を引いている。

大本営チュートコは、危痴害と迷苦垃の寄り集りジャロカ、ありゃみんな偉カ人のはずに」

 二か所は自主規制させていただいた(笑)。

 ということなのである。現在の「軍刀組」の霞が関のエリートどもは、先の大戦で日本を地獄に突き落とした軍官僚となんら変わりはない。軍官僚に担がれた近衛も、財務官僚に担がれた岸田もまったく同じで、地獄を見るのは一般国民なのである。

 財務省チュートコは・・・・・・の寄り集まりである。