ゼロ戦走り

 昨日、ツレに誘われて初詣にでかけた。運転手はワシャだった。ツレはそれほど戦争文学が好きではないと言っていたが、それでも『永遠の0』は読んでいたので、車内では宮部久蔵談義に花が咲いた。
 昨年末の読書会で『古事記』をテーマにしていたので、神日本磐余彦尊を祀る知立神社に詣で、衣浦豊田線(衣豊)という4車線の広い幹線に出て豊田方面に車を走らせる。途中で、ツレが言った。

ゼロ戦走りはやめろよ」

 いやー、見抜かれましたか。ツレは、ワシャの走りが、いつもと違って調子こいて走っているので、そのことと先刻話をした『永遠の0』を繋げたんでしょうね。
ワルシャワは『永遠の0』の宮部久蔵になりきっている。車線変更をする際にも、本人的には、日本海軍戦闘機乗りの秘術『左捻り込み』で進路変更をしているんだ。アホだ」
 そういえばツレはさっきから足を踏ん張ってシートにしがみついている。よほどワシャの運転が怖かったのだろう。
 でもねツレの指摘どおりで、コクピットに座った戦闘機乗りの気分で衣豊を走っていたのは確かだ。前走車の後ろにピタリとつくと、ついチェンジレバーをつかんで「タタタタタ……」と機銃を撃っておりましたぞ(笑)。

 百田尚樹渡部昇一ゼロ戦と日本刀』(PHP)がおもしろい。評論家の山本七平さんの話を書いている。
「自分が戦場で生き残ったのは、隊長が士官学校の卒業生ではなく、叩き上げの隊長だったからだ」
 士官学校出身のエリートは上からの命令をたがわずに下達した。叩き上げの隊長は、下命があっても「これは駄目だな」と判断したらやらなかった。これが所属兵士の生き死にを分けた。
 この話を受けて、渡部さんは言う。
日露戦争当時のトップクラスは西南戦争を経験したりして、生き残った人たちです。ペーパーテストで偉くなった人はいても、トップクラスまで行けませんでした。》
 このころまでは、まだ日本軍は実戦主義だった。実戦をしらない頭でっかちをキャリアというだけで登用するようなことはしなかった。ところが支那事変以降になってくると雲行きが怪しくなってくる。
 日露戦争日本海海戦で大勝利を収めた海軍の株は一気に高騰する。全国の秀才中の秀才が海軍に集まるのは自明の理であった。そして、
海軍兵学校のとびきり秀才だけが、海軍大学校に行きました。》
 海軍大学校のレベルは、おそらく現在の東京大学の比ではなかっただろう。東大は頭さえよければ入学できるが、海軍大学校は頭とともに運動神経も必要だった。日本の秀才たちのごくごく上澄みだけが、海軍大学校を卒業し、艦隊司令長官になっていった。
《頭はいいし、仲間とのつき合いもよかったでしょう。だからヘッドもハートもよし。だけど、ガッツがあったかどうかは調べようがありません。私はなかったと思います。》
 と、渡部昇一さんは嘆いている。
 確かに、日本連合艦隊の司令長官というのはみんな臆病だった。ようするにガッツがなかった。個々の艦艇の艦長や、ゼロ戦パイロットたちは勇敢なんだけれども、トップエリートたちはなにをするにも消極的で、言ってしまえば卑怯だった。なぜか。国家存亡の危機なのである。それに彼らはトップエリートなのだ。なにが彼らを卑怯者にするのか。
 百田さんはそれにこう答える。
「司令長官から無事に帰還すれば爵位が待っている。オレのような優秀な人間は爵位をもらって悠々と生きるのが当然だ。こんな戦場でミスをしてたまるか。だから頭の悪い下層兵士が命をすりつぶしてでもオレの経歴を守るべく頑張ればよろしい。そんな連中が指揮権をもっているのである。日本が欧米に勝てるわけがない」
 これについては、アメリカの将軍も同様なことを言っている。
「日本軍というのは、前線の指揮官や兵士たちはやたら強いのだが、艦隊司令部や指導層(海軍大学校卒)は惰弱でバカばっかりだった」
 マニュアルに強いだけの軍人(官僚)は平時には多少間に合うかもしれないが、有事には何が起こるかわからない。マニュアルにないことばかりが発生する。これに知識脳だけでは対応できないのが現実である。
 福島第1原発事故は、平成のミッドウエーだと思っている。多くのマニュアル秀才、これは官僚も東電のエリートもふくめてだが、マニュアル外の現実に対応できなかった帰結でしかない。
 今後も、経済、軍事、災害などで想定外のことが起きるだろう。そのとき、日本のマニュアル秀才たちになにを期待すればいいのだろう。
 もちろん優秀な官僚はいる。それは日本軍でも同じだった。しかし主流派は残念ながらマニュアル秀才たちである。いでよ、現場を知っている切れ味のいい勇気ある若者よ。
 
 そんなことを考えさせられる一冊だった。