ある上司像

 長年、会社勤めをしていると、いろいろな上司に出くわす。直属だけで50人は下るまい。その中で「この人はモノが良かった」と言える上司は3人いた。その率6%だから現行の消費税よりも少し高いくらい。
 こんなことを言っているワシャだって、部下たちには「この上司はモノが悪い」と思われているのが関のやたっぺである。

 ワシャは石原莞爾という昭和の軍人が好きだ。昭和の軍人は押しなべて官僚的なのだが――とくに東條英機などはその最たる人物――その軍官僚組織に中にあって、とにかく石原は異色、出色な人物だった。
 日本陸軍のような階級がすべてのような組織である。その中で、石原は上官に平然と意見をした。大尉の頃に砲科出身の陸軍大将にこう教示した。
「今後の戦争は大砲ではなく航空機により決せられます。大砲や兵器に重点を置くのではなく、優秀な飛行機を製作することを目指すべきです」
 6階級上の上官にむかってこれは言えない。しかし、石原は言ってはばからない。

 彼の上官に真崎甚三郎という陸軍大将がいる。陸大19期で恩賜の軍刀組であるから極めて優秀な軍官僚である。この真崎大将がヨーロッパ視察の際にドイツ陸軍の名将リールを訪問した。随行は石原である。日独の大将会談になるのかと思いきや、徐々に真崎大将を抑えて石原大尉がリール大将に専門的な質問をするようになった。リール大将も的を射た石原の質問に喜び、何も発言できない真崎大将そっちのけで熱い議論を交わしたのだった。
 会談終了後、リールは石原のほうに「また来てほしい」と言ったのである。これでは恩賜の軍刀組も形無しだ。この時を境にして真崎大将は石原を嫌うようになる。
 でもねぇ、普通の組織ならそうなりますわ。エリートの取締役専務が他社の視察の随行に係長を連れて行ったら、向こうの副社長と話をするのは係長ばかりで、終いには係長が副社長と仲良くなって「またきてね」って言われたわけだ。そりゃ真崎さんじゃなくたって腹が立ちますわなぁ。まぁそれほど石原莞爾は図抜けて天才だったということなのだろう。
 余談だが、この石原に恥をかかされた真崎大将が二・二六事件の黒幕と言われている人物である。前述のエピソードからも分かると思うが、真崎大将、少しケツの穴が小さい。そりゃ二・二六事件は成功しないはずだ。
 石原が優秀だとはいえ、軍の上層部はケツの穴の小さい頭でっかち軍官僚の巣窟である。上に媚び、自分のミスは人に擦り付け、部下を奴隷のごとく酷使する、そういった無謬秀才が出世した。
 石原はこういった唾棄すべき軍官僚とは真逆だった。石原のこんなエピソードがある。例えば極寒の満洲では井戸が凍りついて風呂の水が確保が難しい。上司の覚えめでたきことだけが重要な連隊長は、連帯の予算の収支のことばかりを考え、水がないならないで、兵士たちの入浴回数を減じる。連隊長や将校は官舎に別の風呂を持っていて、その水はしっかりと確保し毎日入浴を楽しんでいる。兵は2日に1度だったものを5日に1度にして水を節約させる。その上に入浴時間も制限したため、初年兵などは遠慮して湯船にも浸かれない。このために身体が不潔になり、A型パラチフスが流行して多数の死者まで出してしまう体たらく。
 ここに新連隊長が赴任する。石原莞爾である。兵たちの劣悪な状況をすぐに把握した石原はなにが重要かを見極めてすぐに行動を開始する。彼は、さっそく師団経理部長に掛け合い、浴槽に浄化槽を取り付けたり、水の確保のための新たな井戸の掘削をした。このために入浴は苦行から楽しみに変わり、連隊の兵たちは大いに喜び石原の評判は上がった。
 しかし、そうなると前の連隊長やそれにつながっている軍官僚は石原に対して妬みが生じる。男の嫉妬ほどやっかいなものはない。石原のやりかたが兵に人気がある。ならば、それを見習って自分もそうすればいいのだが、そんな腹は括れない。小心者にできること言えば誹謗中傷くらいのことで、石原を引きずりおろすことばかりに血道を上げる。
兵たちが入浴を喜んで、湯船で軍歌や出身地の民謡などを歌っているのを聞きつけると、しめたとばかりに「石原のやったことは軍旗紊乱である」とクレームをつけてくるのだ。これに対する石原の回答がふるっている。
「そんな料簡だから軍隊が高等監獄になってしまうんだ。風呂の中でも兵に直立不動でいろ言うのか。気持ちがよければ鼻歌のひとつも出る。それが軍紀風紀となんの関係があるのか」
 
 石原の天敵に東條英機というエリートがいる。あ、逆か。東條の天敵が石原莞爾だな。どちらにしても双方相手のことを嫌っていたのだから、ハブとマングースのような関係だった。東條はまさに上にへつらい下に厳しい典型的な軍官僚だった。だから兵士たちから人気はなかった。
 石原は、頭の回転は陸軍内でもとびきりだったし、戦うためには兵を養うことが重要であるということを良く知っている軍人だった。だから兵を大切にした。人気が出ないわけないでしょ。
モノのいい軍人、部下を大切にする上官は冷や飯を食わされ、モノの悪い軍人、兵を消耗品だと思っている上司は首相まで登りつめる。社会というのは思うようにはいかないものである。

 今日、1月18日が石原莞爾の誕生日だったので……。