先生は偉い(官僚論)

 コラムニストの勝谷誠彦さんが、9月1日のメールで、学校に行きたくない子供たちにむけてこんなことを言っていた。
「別のことをするというのなら私は応援する。学校で低能な教師から教えられるものがないというのもわかる。では何をする。実業、実技を身につけるなら素晴らしい。私が会えてうれしかった人々のほとんどはそういう方々だ。テレビに呼ばれて喜んでいるたいへんな大学を出たセンセイたちはほとんどがアホである」
 ワシャは、学校の先生が低能とは思わないが、少年司馬遼太郎が英語教師とのやりとりで、「こりゃあかんな」と早々に教師に見切りをつけた話などを読むと、危ういのも混じっていることは否定できない。
 それに自分の過去を振り返っても、どうだろう、おそらく200人くらいの教師に学んだが、その中で人として尊敬し、人生の師と仰げるほどの人物は3人しかいなかった。もちろんその他のどの先生に対しても、三歩下がって生徒としての分はわきまえていたつもりですけどね(笑)。
 話が逸れた。勝谷さんの発言にもどる。「たいへんな大学を出たセンセイたちはほとんどがアホ」というフレーズである。

 似たようなことを今週の「週刊ポスト」で井沢元彦さんが言っていた。「週刊ポスト」は、表紙にエロエロ書いてあるの相変わらず買いづらいのだが、評論家の呉智英さんの「ネットのバカ」が連載されているので仕方がなく買っているんですよ……って言い訳ばかりですが(笑)。
 今週号の井沢元彦さんの「逆説の日本史」である。日本陸軍の「軍刀組」について触れている。まず「軍刀組」については、少し説明をする。
 戦前、日本陸軍士官学校を卒業すると、一旦は軍務に着く。そこで上官からの推薦があって陸軍大学校の門をくぐることになる。学力、体力などとともに上官に気に入られる術を身に着けていなければならない。ある意味、極めて狭き登竜門なのである。篩に何度もかけられて、入学した後も、学校内で選抜され、成績トップから5人だけが軍刀を下賜された。他の同級生たちとは、完璧に差別化が行われる。当時も帝国大学には優秀な学生が集まっていた。しかし、それを上回って陸軍大学校にはエリート中のエリートが集まり、その中でも「軍刀」は抜群の成績を修めたものだけに許される名誉だった。
 これが祟った。この「軍刀組」がある時期の日本を牛耳った。そのために日本が滅亡の縁に追いやられたことはあまりにも鮮明だ。
軍刀組」。当時の日本臣民の上澄みの上澄みである。だが、彼らが日本を奈落に突き落とした。なぜか。井沢さんはこう言っている。
「なまじ学問をすると常識がわからなくなる」
 世界で一番広い大陸で支那軍と戦っている。その上に、世界で一番広い太平洋でアメリカやイギリスと戦う決断をするのである。自分の手に握っている駒すら理解できなかった。「常識」が欠落していた。
 これは今も変わらず、「たいへんな大学を出たセンセイたちはほとんどがアホ」であるかもしれない。そう意識して、たいへんなセンセイたちの話は鵜呑みにせず、眉に唾をつけて聞くことにしようっと。