「紀元節」などと書くと、左巻きの吉永小百合あたりからは「右翼!」と言われそうだが、明治維新の後に「四大節」(しだいせつ)の一つとして祝日とされた。『日本書紀』に記されている神武天皇即位の日を記念してのものである。それを戦後になって「建国記念の日」として国民の祝日となった。
ワシャ的にはどちらでもいい。ただ歴史好きのオッサンとしては、少しでも歴史的に長いほうを使いたいということ。
紀元節、おめでとう。
今朝の朝日新聞「日曜に想う」である。お題は《「小さい」からこそ変わる社会》という駄文だ。
冒頭に《日本をよく知る外国の知識人が日本の停滞の理由を、そんなたとえで説明していたのを思い出す。》といっている。
「そんなたとえ」は後で触れる。取り合えず「日本の停滞」って、そもそも何の停滞かを言えよ、論説主幹代理さんよ。「経済の停滞」なのか「軍備の停滞」なのか、あんたらの好きな「人権」の停滞なのか?
漠とした文章だから何を言いたいのかが分からない。
でね、「そんなたとえ」なんだけど、これですわ(笑)。
《小さな蛙ならば井戸の外の世界に飛び跳ねることもできるが、なまじからだがでかいと、つかえて出られない》
ということらしい。
この後に、《人口減、円安、国内総生産4位。縮みゆく日本の前途が案じられる時代にこそ、「小さいこと」の利点に目を向けて》と言う。
順番にいこう。
「小さい蛙」なら井戸から出られるが、「でかい蛙」は痞(つか)えて出られない?おいおい、そもそも井戸よりでかい蛙は井戸に棲めねえし。
「人口減」については、もともと明治維新前は3300万人。戦後だって7200万人程度で日本はやってきた。人数の変化そのものが問題ではなく少子化のほうが大きな問題なのだ。
だからきっちりと対策をとれって言っているのに、盆暗宰相はジジイから赤んぼまで全国民から一律500円を徴収するって言い出した。おい、両親と子供2人の家庭で月2000円、年間24000円も増税する気か?オマエは鬼か!鬼の財務の回し者か!
話が逸れた。「日曜に重湯」だった。
筆者は「小さい蛙」から「小さい国」に連想をつなぎ、小さい国、アイスランドで決行された「女性のスト」に思いを馳せる。グダグダと続く文章が面倒くさいので搔い摘むと・・・。
「世界のトップのジェンダー平等国でも女性は満足していない。収入格差、性暴力、子育てなどの責任が女性ばかりにのしかかる」
「1970年ごろは女性の所得も低く、女性政治家も数えるほど。1975年に国民の9割の女性が参加したストで社会を変えた」
「小さいことが民主主義を強靭にしている。利害関係者が少なく、物事に先駆的に取り組める。クオーター制も導入している」
そしてこう結論を付ける。
《歩んだ歴史も地政学的条件も異なる国にならうのは難しい。でも自身を見つめ直す鏡にはなる。》
ならないって(笑)。
いいかい。アイスランドは人口30数万人である。西三河でいえば刈谷市と安城市を合わせた程度の国である。そして独立したのは1944年。かたや日本は1億2000万人で、建国して2684年の国ですよ。海洋も含めた面積はアイスランド86万㎢、日本は485万㎢である。
ここでワシャは国の大小の是非を言うものではない。そのくらい規模感が違っているということを示し、この2国を比較するのは困難だと言いたいのだ。
さらに付け加えれば、アイスランドの隣国はノルウェー、イギリス、デンマーク、カナダである。日本の周辺国家と比較して雲泥の差がありますわなぁ(泣)。
ということで「日曜日に重湯」の提言、とくにジェンダーについて「自身を見つめ直す鏡」にしろと言いたいらしいが、はっきり言っていないのでぼけてしまってよく分からない。なにからなにまで違っている国どうしでは鏡になり得ないということ知ってからモノを言え。
繰り返すが小さいからどうのと言っているのではない。マグロの大群が白ハヤブサの生態を真似できますかということに尽きる。
それから「日曜日に重湯」というのは、「重湯」が水増しして炊いた病人食であることから、「日曜に想う」が水の量ばっかり多い歯ごたえのない文章という意味に皮肉を込めた。誤字ではありませんよ。