影法師

 茅島藩8万石の話である。茅島は「かやしま」と読む。架空の藩なので具体的なことは判じようもないが、越後の海沿いから10里ほど内陸で、北国街道に近いとなると、越後長岡藩七万四千石を想定しているのではないか。
『影法師』は茅島藩士の戸田勘一(長じて名倉彰蔵)の半生を描いた百田尚樹さんの長編である。文庫の裏表紙には《頭脳明晰で剣の達人。将来を嘱望された男がなぜ不遇の死を遂げたのか。下級武士から筆頭家老にまで上り詰めた勘一は竹馬の友、彦四郎のゆくえを追っていた……》
 物語の大半は小さな藩の中で繰り広げられる。ある意味で舞台はまことに小さい。殿様(首長)がいて、藩士(吏員)が350人程度の行政組織の中で繰り広げられる悲喜こもごもである。『燃えよ剣』のように、幕府を倒すの支えるのという大問題に奔走する若者群像でもなく、『鬼平犯科帳』のごとく、花のお江戸で悪人どもを相手に斬った張ったの大活劇というのでもない。時代小説であるからそこそこの立ち回りはある。あるがそこに主眼が据えられているということではない。
 あくまでも小さな世界の中で、小さな世界なりの義を追求する若者と、それを取り巻く周辺の人々のお話である。
 あまり語り過ぎるとネタバレになるのでこのくらいにしておくけれど、一つだけ気にいったフレーズを。
 私財を蓄えている家老の不正の証拠を握った大目付が勘一を訪ねてくる。証拠を江戸の藩主に届けてくれと、手渡されたシーンである。

 冷え込む夜であったのに、勘一の背中にはじっとりと汗が浮かんだ。
「承知つかまつりました」
 と勘一は言った。斎藤は何も言わずに頷いた。
 礼を口にすることなく、傲然たる態度で腕組みをする斎藤を、勘一はむしろ好もしく思った。たしかにこれは礼を述べたりするようなことではない。真に国を思うかどうかの問題に余計な礼儀など不要だ。

 文章の後段に「国」という単語が出てくるが、ここでワシャは付箋を打った。「真に国を思うかどうか」、この「国」はもちろん日本国といったような概念ではない。越後国ですらなく、茅島8万石の小さな天地のことを指している。その程度のことではあるが、茅島にとっては国の民が生きるか死ぬかの一大事なのであって、藩主に直訴をするということで、斎藤という大目付はその責をとって切腹する。切腹まではしなくていいけれど、大きかろうが小さかろうが国(行政)を支えるということは、そのくらいの気概がなければいけない、そういうことなのである。
 
 おもしろかった。まだ未読の方にはお薦めします。できれば文庫版のほうを。