内田から見えてくるもの

 ワシャは中学から高校にかけて小説のようなものを書いていた(爆笑)。主人公は「功力勇(くりきいさみ)」という高校3年生。仏教と新選組が混在したような名前の番長で、喧嘩の強いリーダーとして描いている。ベースとしては、梶原一騎の『夕やけ番長』や池上遼一の『男組』の影響を受けている。まぁその焼き直しのような落書きでした。それでも数人の読者がいて、そいつらに回覧して読んでもらっていた。

 その物語の中に、功力勇の敵として登場させたのが「全国反日武装連盟」(以下、「全反日」)という左翼集団だった(笑)。ワシャなりに結構考えて、高校生の首領様を頂点とした非合法組織で、組織図や名簿などもせっせと作っていたなぁ(遠い目)。

 記憶は定かではないが、おそらくその頃に「東アジア反日武装戦線」(以下、「東反日」)がマスコミに登場してきた。ワシャの大作のほうが先だったとは思うんだけど、「東アジア」から「全国」に縮小しているところから見て、ワシャのほうがパクったのかな?

「全反日」は半年くらい功力と戦って破れて消えていったが、「東反日」のほうは長いことと潜行していたんだね。

 

 こんなどうでもいい話をしてゴメンちゃい。

 問題は、今朝の新聞でも1面と社会面を賑わしている「内田洋」のことである。これもどうでもいいっちゃぁどうでもいいんだけどね。

「内田洋」と名乗る男は、警察の手配から逃れるために、昭和50年頃から変名を使ってその正体を隠し、免許もパスポートも取らず、健康保険にも入らず、神奈川県藤沢市の土木会社に住み込みで働いてきた。すごい潜伏期間だ。

 廃屋に近い老朽住宅に住み、家族もなく、本心を明かせる知人もなく、半世紀もの間、孤独な人生を送ってきた。ある意味で懲役刑を食らったようなものか。哀れだなぁ。無知ゆえの悲劇といっていい。

 ソ連から全世界に流布されたまことにくだらない思想「共産主義」による1億人(もっと多いかも)の犠牲者の1人だった。

 明治学院大学に入り、楽しい学生生活を送ろうと思っていたところで、共産主義にかぶれた法政大学の大道寺将司あたりと知り合ったのが運の尽き。岡山からやってきた純朴な若者の洗脳にはさして時間は掛からなかっただろう。

 そうそう「全反日」のリーダーの造形は、ワシャが高1の時に先輩から誘われて行った駅裏の国労の事務所で、一晩ワシャを必死に説得した20歳くらいの髭を生やした若者がモデルなんですよ(笑)。

 そいつより大道寺のほうが、説得力があったのだろうか?あるいは内田よりもワシャのほうが、ひねくれ者だったのだろうか?

 どっちもだね。

 まぁそういう時代で、素直な内田はずぶずぶと共産主義思想にはまっていってしまったのだと思う。

 

 朝日新聞の社会面に京都大学の名誉教授とやらが寄稿している。このお説が笑える内容なので記しておこう。

 名誉教授は言う。「」内はワシャの要約です。《》内が引用。

「1972年以降、学生運動の熱は冷めていった。それでも過激化する道を選んだのが『東反日』だった」

 だから、

《桐島容疑者は逃亡するほかなく、やがてそれ自体を「崇高な行為」として捉えていた可能性がある。》

とつなげている。

 要約と引用の間にワシャが「だから、」と入れたけど、それが名誉教授の文にはなく、「だから、」がないと前段の文章とつながっていかない。まぁ京大の名誉教授の文章力などこの程度のものだろうから構わず続けたい。

《入院先に自らの本名を告げることで、自分の理念を完結したようにも見える。》

 前の引用も「可能性がある」、あとのは「ようにも見える」で、このオッサンの推測ばかりで事実ではないですよね。

 それに続けて《しかし、被害者を考えれば逃亡は肯定できない。》って、当たり前やん。

 そしてこの京大名誉オッサン、最後に「桐島のような存在を生んだのは社会の仕組みが悪い」と結論付けている。おいおい、悪いのは「東アジア反日武装戦線」であり、桐島を洗脳した大道寺であり、洗脳道具となった「共産主義思想」の「窮民革命論」だろうが。

 なんで、被害に遭われた方々が構成していた社会、あるいは内田(桐島)と同年代でも共産主義の洗脳から立ち直って一所懸命に働いてきた人々が作り上げた日本社会のせいにされなくっちゃいけないんだ!

 

 追記だけど、「窮民革命論」の中に「アイヌ在日朝鮮人、日雇い労働者ら差別を受けている人だけが革命の主体となりうる」とある。これは朝日新聞の記事に載っている。

 いろいろと見えてくるでしょ(笑)。