ワシャは、大きな流れとして「大阪都構想」は前に進めるべきだと思っている。国があり、都道府県がからみ、基礎自治体が存在する現行制度は段階が1つ多い。国があって、ある程度の規模(人口30万人程度)の基礎自治体があればそれでこと足りると考えている。さらに大阪の場合は、国・府・政令市という組み合わせで、大きい組み合わせばかりで、住民から遠過ぎる。住民サービスについては、市の下に自治体ではない「区」を置いて対応しているのが実情だ。
とくに大阪はその地域性もあって、府と政令市の二重行政には目に余るものがあり、抜本的な改造が必要と見ている。是非の理屈はあるだろう。だが、府と政令市の重なりを解消することはいいことだった。
しかし、大阪市民はそれを選択しなかった。いろいろな思惑はあるのだろうが、地方自治の進化ということに鑑みれば、躓きといっていい。
今回の住民投票で、ワシャの注目したところは、自民党と共産党が手を携えて「大阪都構想」に反対しているところである。どこをどう押せば、自共連携ができるのか?大阪自民、残念過ぎるぞ。保守の自民党が、どんな理由があるにせよ、皇室を否定する共産主義者と連帯してはならない。維新を倒すためなら、共産党のケツの穴でも舐めるという誇りのなさは武士道に悖る。情けないを通り越して悲しいわい。
ある意味で今回の「大阪都構想」は民主主義の最たるものと言っていい。誰かが言っていたが「民主主義の原則は直接民主主義」なのである。それから言えば、「大阪市を廃し特別区を4つ設置」するという施策を市民に委ねたこのケースは間違いなく「本物の民主主義」なのである。しかし、この直接民主主義で国家の運営を実現した国はない。悲しいかな、気分や空気で右往左往する大衆による判断は間違うことのほうが多い。
例えば、昭和33年に燃え上がった「日米安保条約改定」についても、国会前で大規模なデモが起こり、新聞各紙は安保反対を大合唱した。あの時に、国民投票を実施すれば、おそらく安保条約は破棄されていた。その結果として、今頃、北海道はロシヤに、九州は支那に呑み込まれていただろう。
しかし、国会前でシュプレヒコールを挙げていた学生たちの中で「日米安保条約」を読み込んでデモに参加していた人間がどれほどいただろう。おそらく皆無とは言わないけれど、かなりの少数であり、その少数は共産主義者に洗脳された民青あたりの人間だけだったろう。住民投票とは、この危険性を大きく背負っている。
大衆とは(ワシャなんかバリバリの衆愚だよ~ん)、空気に流され、同調圧力を作り出し、集団ヒステリーを起こせば残酷なことを平然とやってのける。それは、フランス革命の愚挙を見るまでもなく、いつの時代も世界のいたるところで、何度も何度も繰り返されてきた現実である。
これが民主主義の正体なのだ。モノのいい知事、市長が民主主義に頼り過ぎた結果が、「大阪都構想否決」であった。おそらくこれで百年は手を付けられまい。そして大阪は有能なリーダーを失う。
【おまけ】
今日の「虎ノ門ニュース」で、『正論』編集長の田北真樹子さんと竹田恒泰さんのやり取り。
田北「バイデン氏を見て、あの人を大統領にしたいと思います?」
竹田「ただのエロジジイですからね」
田北「ていうか、呆けたポーッとしたお爺さんで、女の人触るの大好きですからね」
竹田「しかも、幼女が好きですからね、幼女趣味のエロジジイですからね、ヤバイですよ。だからね、つくづく民主主義の限界を感じましたよね。だってアメリカは3億人いるんですよ。で、1年間かけて大統領選挙をやって、トランプを倒すための最高の一人を選んだのが、このジジイですからね。だから民主主義ってダメだなと思いました。もっと他に人はいなかったのか?」