先輩の訃報

 昨日、所用で凸凹商事本店に顔を出していた。そこでたまたますれ違った課長から「ワルシャワさん、ちょっと待っていてください」と言われ、彼が自席に戻って、A4の紙を持って帰って来るわずかな時間、中庭の四角に切り取られた空を見上げていた。

 課長の持ってきたのは訃報通知だった。WさんというOBの訃報だった。

「え?」

 その通知には、ワシャが社員として凸凹に入って来た時から、何かと目を掛けてくれた上司の名前が記してある。生年が昭和18年だから、退職をされて早20年が過ぎているのか・・・。

 勢いのある上司だった。とはいえ、直属の上司になったことはなく、もっぱら、飲み屋とか宴席で交流があったくらいだ。なぜか、ワシャのことは気に入ってくれたようで、「ワシャ、ワルシャワ」と声を掛けてくれた。

 向こうっ気の強い部下が好きなようで、Wさんの私的な飲み会に集まってくるのは、一癖も二癖もある技術畑のたたき上げが多く、綜合職のひょろんとしたワシャなんかは、顔を出す早々に罵声を浴びせられるような席ばっかりだった。

 でもね、ワシャ的にはそういう席、嫌いじゃないんですね(笑)。まだ若かったんで腕っぷしには多少の自信があったし、口は達者で声もでかかった。理不尽な罵声には、「波動砲」を放って蹴散らしたものである。

 それを上座にいて、許容してくれたのがWさんだった。「どんどんやれぇ」てなもんですわ。おかげで技術畑の先輩たちは、すぐに呼び捨てから「ワシャくん」に変化していった。ワシャのほうは、からんでさえこなければ、「先輩、先輩」と立てて話ができるので、そのあたりとは上手く交流するようになった。これもWさんのおかげですね。

 退職されてからも交流があった。WさんはOBになってからも自宅へ、元部下を集めて飲むことがあって、そこにワシャも呼ばれたものである。

 ワシャが凸凹の社外役員になるかならないかという時にも、自宅までお邪魔をして相談にのってもらった。

 ビジネスエリアの関係から、推す役員候補は決まっている。Wさんは役員会で「49日議員」と呼ばれる候補を推すことになっていた。しかし、Wさんは「表立っては動けないが、確実におまえに票を入れるし、仲間も誘っておく」と太い眉をきりりと上げて言ってくれた。頼もしかったなぁ。この時に、社外役員になろうとはっきり決めたことを覚えている。

 社外役員になった時にはWさんは75になっていた。それでも時折、凸凹商事ですれ違うこともあって、出くわせばよもやま話をしばし交わすのが数回あったくらいか。

 その後、体調を崩されて入退院を繰り返いしているという噂を聞きつけ、「いずれお見舞いでも」と思っていた矢先、ワシャのケータイが鳴った。9月の初旬、知らない番号だったが出てみるとWさんだった。

「おう、元気か?おまえ、社外役員を辞めたんだって?おれは投票に行っておまえの名前がないんでびっくりしたぞ。投票するヤツがなくなっちまった。どうしてくれるんだ」

 と、捲し立ててくる。

「Wさん、相変らずお元気ですね」と、言うと・・・。

「バカ、オレはいま入院しているんだ」

 大声で言うので、ワシャはケータイから耳を遠ざけたくらいだ。そこから、Wさんの近況を聞き出して、今、市内の総合病院に入院し面会謝絶になっているという。

「面会謝絶で、そんなでかい声で電話していていいの?」

「いいのだ」

 相変わらずですね。

「見舞いに行きたいけど?」と言ったんだけど、「今はちょっと無理だな、そのうち面会謝絶もとれるだろうから、そうしたら来てくれ」ということになった。

 

 その次の知らせが、冒頭のA4の紙だった。さすがに急だったんで、かなり動揺をした。Wさんの娘が凸凹の支社に務めているんで、近々連絡をして様子をうかがおうと思っていたところだったから。

 廊下にヘナヘナと座り込みそうになったが、そこはそれ、後輩たちに不甲斐ないところは見せられない。情報提供の礼を言って、凸凹商事を後にしたのだった。

 

 通夜は昨日の夜、市の斎場で行われた。交友関係の広い人だったので、斎場は久々に外までお参りの列が続いていた。駐車場もいっぱいで、通常は停めてはいけない通路にも縦列駐車し、近隣にある行政の事務所の駐車場も開放していた。

 ワシャは流星号(自転車)なので、楽々、式場の間近まで乗り付けて、お参りをさせていただいた。

 なにしろ参列者が多く、通常の通夜というわけにはいかなかったらしい。「分散形式」というやり方で、親族の通夜が終わった後に友人、知人の焼香をするというもので、このやり方もいいですね。長い読経を聞かずに済むから(笑)。

 焼香台で手を合わせ、その横に控えている親族に頭を下げ、棺の前へと進んだ。棺に納まったWさん、野球帽をかぶって眠っているようだった。病やつれもされておらず、料理屋で飲み過ぎて横になっているとしか見えない。ワシャは手を合わせつつ、つい声を出してしまった。

「ちょっと早いよ~、Wさん」

 そうしたら涙がこぼれてきた。

「お世話になりました。こんな跳ねっかえりに目をかけていただいてありがとうございました」

 これはさすがに心の中で言うだけにしておいた。

 

 棺から離れ、焼香の列の脇を出口へと向かう。ほとんどが知り合いなので声をかけてくれる。それぞれにご挨拶をしながら進んでいると、「ワシャちゃん、なんで社外役員を辞めちゃったの?」とどやされた。見れば、技術畑の先輩だった。Wさんの宴席でも何度か顔を合わせたいい先輩だった。

「いやぁすいませんでした。いろいろありまして。でも、ここでは説明するのもなんですから(笑)」と頭を下げると、「じゃぁまた今度な」と応じてくれて、助かった。

 出口まで続く焼香の列の最後のところに、凸凹商事の女性職員が並んでいた。ワシャを見つけると「ワルシャワさ~ん」と手を振ってくる。ワシャも「おお」と右手をかざす。そうしたらね、「あら、ワルシャワさん、泣いてる?」と指摘するではあ~りませんか。いかん。ワシャはゲンコツで目をぬぐって、照れ笑いをしながらこう応じた。

「Wさんに会ってビー泣きしたわい、ハッハッハ」

 それにつられて、女性職員も笑ったのだった。

 通夜の席で不謹慎だったかも知れなかったが、これくらいは許してもらえますよね、Wさん。

 ご冥福を祈ります。