伊勢神宮と斎宮

 昨日、地元で読書会。課題図書は、西宮秀紀『伊勢神宮斎宮』(岩波新書)である。

 さて、これがなかなかの難物だった。伊勢神宮斎宮関連資料のまとめとしては、けっこう役には立つのだろう。だが、いかんせん研究論文のような内容なので、通常、新書を手にする層が読んでも馴染めない。専門的な用語などが羅列が多く、その用語解説もされたりされなかったりとなっている。ルビのふり方も適当で、一般的な漢字「側溝(そっこう)」、「庇(ひさし)」、「障(さわ)り」などにはご丁寧にルビがふってある。「舎人」には、3行をおいて2か所にも「とねり」とふってある。

「主神司」という名詞にはルビがなかったので、ワシャには読み方が判らない。「しゅかみつかさ?」って適当に読み進めるのもなんだから、パソコンで調べましたぞ。そうしたらね、上に「斎宮」をつけて「斎宮主神司(いつきのみやのかみのつかさ)」と読むことが判った。それで納得して次のページまで読み進めると「主神司(かんづかさ)」とルビがふってあるではないか。おいお~い、初出の方にルビをふっておかんか~い。これだけ下手なルビの打ち方を見ると、岩波の編集者も内容の難しさに音を上げてしまったような形跡さえある。

 さらに忌詞(いみことば)の段では、「優婆塞を角波須」とか「宍を多気」とか、何を言っているのかも理解できないものが出てくる。これらも説明されることなくさっさと文章は進んでいく。なにしろ不親切だ。

 文章中に古代の天皇が多く出てくるのだが、「崇神天皇六年」とか「垂仁紀二五年」ではいつの頃の話しなのかが皆目見えてこない。原典に忠実なのだろうが、年号の記載は統一するべき。また天皇にはそれぞれ「代数」を入れると前後が明確になり、「ああ、あの天皇の後くらいの時代か」とぼんやりだが立っているところが判るのである。

 もっと突っ込むと文章が下手だ。1文が長い。270字というものもある。文章は短く簡潔に書くことが大切で、でなければ読者に内容が伝わらない。

 以上ここまでワシャが書いてきた駄文が22文で構成されている。一番長い文で69字、平均文字数が37字である。ワシャの日記などヘみたいなものだが、それでも文は短く書こうと心がけている。

 とにかく270字になると、主語と述語が離れすぎて、読み進めているうちに筆者がなにを言いたいのかが判らなくなる。そして主語のない文章もあり、読み手としてはかなり混乱させられるだろう。

 

 とはいえ、「伊勢神宮斎宮」についての資料・文献について、著者はしっかりと読み込んでいる。それらへの案内文書ということであるならいい本だと思う。この内容は、新書というより学術書であり、むしろ索引などをつけて数千円で販売するのが相応しいような気がする。

 ワシャはこの本を今月入手した。奥付を見ると「2019年3月20日 第1刷発行」とある。まだ1刷だった。

 もう少し説明を丁寧に加え、編集者がしっかりと手を入れれば、「伊勢神宮」と「斎宮」の理解を促進するいい本になると思う。

 

 さすがにこの本には読書会のメンバーも手こずったようで、「難しい」というのが共通した結論だった。