「なにごとの おわしますをば しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」
平安末期の歌人、元は鳥羽上皇の北面の武士だった西行法師の作とされる。
昨夜、某所で読書会。課題図書は、神宮司庁編・著『図解伊勢神宮』(小学館)である。
ワシャは伊勢と同じ東海地方に住んでいるということもあって、幼いころより機会があるたびに伊勢に行っている。最近は、地元の政治家のバスツアーと称する飲み会に駆り出されて、度々行くことに(泣)。
もちろん神域に入れば「かたじけなさに なみだこぼるる」思いであるが、その前がいけない。地元の酒好きのオッサンたちが数多集められているので、行きのバスの車中から酒を飲んでいる。このオッサンら、かたじけなくも何もないんですね(笑)。
参拝を済ませると、またおかげ横丁で酒盛りとなるんだけれど、ワシャはそんなことには付き合っていられないので、一人、おかげ横丁から出て、その周辺を歩くことにしている。でもな~~んにもないんですけどね。駐車場はやたらある。五十鈴川の対岸には県営の公園があったくらいか。
読書会のメンバーのパセリ君が、先日、伊勢に行ってきたそうな。伊勢市駅まで近鉄を使い、そこで下車すると外宮に参拝し、伊勢市役所、神宮徴古館等を巡り、古市の北をかすめ、おかげ横丁を通って内宮に達したそうだ。彼も、やはりおかげ横丁から一歩外へ出ると「な~んにもなかった」と言っている。ううむ、伊勢神宮といっても栄えているのは内宮とおかげ横丁くらいのことなんだね。
そりゃそうだ。シーズンになると政治家どもがバスを何台も仕立てて、大挙して押し寄せる。そして参拝は適当に切り上げておかげ横丁で酒盛りじゃ~。
という詰まらぬ伊勢参拝と比べれば、外宮から内宮を黙々と、延べ20キロも歩き通したパセリ君の参拝はすばらしい。とくに神宮美術館のところにある「倭姫宮」、昨日の日記でワシャが注目した倭姫のところまで参拝しているとは、ううむ、悔しいですぞ。
さて、タイトルにもした西行の歌のことである。一応、西行の歌だとされているが、実はかなり怪しい。歌の良さについては、まったく議論の余地はなく、心に沁みてくる深い歌である。
しかし、その出典が明らかではないことも確かなのだ。西行の歌集『山家集(さんかしゅう)』などには、この歌は出てこない。
江戸期の国学者たちは、「この歌は西行のものではない」という見方が一般的だったが、ワシャ的にはどうでもいい。
西行が内宮のかたわらの山陰の庵で、朝な夕なに神宮を拝する風景が、この歌から見えてくる。
七面倒くさい祈りの理由など要らないのだ。この森、この山、この大地のたたずまいに、かたじけなくなって涙が零れるほどにありがたい気持ちになるのである。
それでいいのだ。