雪舞う鶴舞

 いやあ~、昨日は大変な1日でしたぞ。大変といってもほとんどは楽しい時間でした。

 今回は変則的に時間を逆に追ってみたい。

 帰宅したのは今日になっていた。いわゆる御前様。

 満員の電車が最寄りの駅に着いたのが、午後11時50分前後。

 名古屋金山駅を出たのは終電の1~2本前の電車で、先頭車両の列に並んでいたのだが、入ってきた電車の先頭車両はすし詰め状態で、並んでいる全員は乗れそうにない。そのことを早めに察知したワシャは猛ダッシュをして後方車両に急ぐ。たまたま3両目の中央ドア付近に隙間があったのでそこに飛び込んだのだった。かなりの積み残しをホームに置き去りにして、電車は東へと向かう。

 地下鉄上前津乗換。

 地下鉄鶴舞に着いたのが11時15分。

 鶴舞のJR高架下の中華料理店を出たのが午後11時を回っていた。店の外に出ると雪が降っている。「舞う」なんていうレベルではなかった。ワシャは思わず「新潟か!」と叫んでしまったくらいだ。

 食事をした中華料理店まで辿ったところで、時間の正しい流れにもどす。

 

 午後6時30分、名古屋市鶴舞公園内にある公会堂大ホールで「大名古屋らくご祭」が始まるのを今か今かと待っていた。毎年、この落語会の春風亭昇太柳家喬太郎三遊亭白鳥林家彦いちの回を楽しみにしている。名古屋の友達がチケットを取ってくれるのでありがた~い(合掌)。

 さて落語の話である。最初に登場したのが白鳥だった。白鳥の傍若無人な落語は体験したものでないと解からない。新作落語の盟主である師匠円丈のDNAをさらに混乱させたような噺「ナースコール」は大爆笑を取っている。

 でもね、ワシャが面白かったのは、枕の「志ん朝、談志との出会い」の部分だった。白鳥、器用な噺家ではないので、志ん朝、談志の真似をするのだがまったく似ていない。だけどそこに2人の大師匠がいて、下手に新人の「にいがた」(白鳥の前座名)がいるのである。そのやり取りのおもしれぇことといったらありゃしない。

 次に高座に上がったのは喬太郎だった。喬太郎、現在の落語界ではトップクラスにいる噺家と言っていい。とにかく落語が完成されていて、それが見事に破壊されていく。この経過は喬太郎通にならないとわかんないかも(笑)。掛けたのは新作の「母恋くらげ」。くらげの親子と、それを取り巻く海の生物たちの話に、小学校の遠足をからめたある意味で無理無理の噺になっている。それもそのはずで、どこかの落語会で「三題噺」を「電気」「水たまり」「みかん」でやったときの噺だそうな。しかし、即興でこれだけの話が構築できる喬太郎の才能がうらやましい。

 そのことを後に出てきた昇太が「喬太郎はクラゲやタコ、ヒラメなどの真似をしているが、すべて最初に『タコです』とか『ヒラメです』って言っているじゃん」と批判して笑いを取っていたが、それでもそれぞれに違った動きをしていて、タコはタコに見えるし、ヒラメとカレイの違いも判った。昇太は「リストラの宴」という新作でご機嫌をうかがう。でも、白鳥、喬太郎の後では分が悪かったですね。

 トリは彦いち。この人も器用な噺家ではない。女を演じても色っぽくないし、それらしく見えないのね。でも、体当たりの落語という点では白鳥につながるものがある。今回の新作落語「神々の唄」も「嘘」というものをテーマにしてドラマが展開していくのだが、中身がバタバタしてワシャ的には消化不良だった。

 おそらく、ワシャの左方向に補聴器を付けている老人がいて、その補聴器からつねに機械音が漏れていた。これがごく小さい音なので、高座の噺家には届かなかっただろうが、ワシャの周辺の人には耳障りなものとなっていた。

 中入りの時に、おそらく誰かが主催者に注意したんでしょうね。場内アナウンスで「補聴器の適正な使用をお願いします」と流れたが、結局、ジジイは中入り後も「キー」という小さな機械音がずっと流し続けた。その妨害があり、とくに左耳の敏感なワシャには苦痛になってしまって、彦いちの落語がスムーズに入ってこなかったのかもしれない。

「補聴器を切れ」と言いたくなった。そうしたら「障害者差別だ」と言われるのかもしれないが、一人の補聴器使用による雑音を、周囲の何十人が許容するべきなのだろうか?障害者だろうと健常者だろうと、公共の場で他者に迷惑をかけることは自身から慎むべきではないのか?

 終演は午後9時を大きく回っていた。それから鶴舞の街に出たのだが、また明日のココロだ~。