倭姫命(やまとひめのみこと)

 次の読書会の課題図書が『伊勢神宮』(小学館)ということで、課題図書の随所に「倭姫命」が出てくる。関連本を読んでいても「倭姫命」という女性の名があちこちに見られた。そもそも伊勢の別宮で「倭姫宮(やまとひめのみや)」が建てられているくらいの人だから関係ないわけがない。

 この人、どんな人かというと、第11代垂仁天皇の皇女で、皇后日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の4番目の子供であった。この姫命が、伊勢神宮の創建に大きくかかわっている。

日本書紀』の巻六に「伊勢の祭祀」という章があって、そこに《倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探して、宇陀の篠幡(うだのさきはた)に行った。》という記述がある。この姫命が父の求めに応じて、伊勢を探して大和、近江、美濃、伊賀、伊勢を旅するのである。古代の話ですぞ。若き姫命がこれだけの旅をするというのは生半可なことではない。

 倭姫命の甥に日本武尊(やまとたける)がいるが「倭」にしても「日本」にしても「やまと」が冠される人物は、日本歴史に大きな足跡を残していると考えて間違いない。

 倭姫命は長い旅を経て、五十鈴川の川上にたどり着いた。その時のことを『日本書紀』はこう表す。

天照大神倭姫命に誨(おしえ)ていわく、この神風(かむかぜ)の伊勢の国は、常世の浪、重浪(しきなみ)の帰(よ)せる国なり、傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり、この国に居たいと欲(おも)う》

 五十鈴川のほとりで、倭姫命に天から天照大神がそうお告げになったんですね。

「この神風・・・」以降を訳すと「伊勢の国はしきりに浪の打ち寄せる傍国(中心地ではない辺境)だが美しい国であるで、ここがいい」と天照大神がそう言われたので、倭姫命の長い旅は終わり、天照大神の居所が決まったということ。めでたしめでたし。

 ちなみに冒頭の「神風(かむかぜ)」というのは、伊勢という地名に掛かる枕詞で、後の元寇大東亜戦争にもつながっていく。

 

 伊勢、神風つながりで『万葉集』から一首。

「神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君もあらなくに」

 これは伊勢の斎宮をつとめた大伯皇女(おほくのひめみこ)が大和に帰った時に詠んだもの。

「神む風の吹く伊勢にいたほうがよかったのに、どうして大和などに帰ってきてしまったのか。我が弟もいなくなってしまったのに」

 という悲しい一首である。弟というのは、天武天皇崩御後の権力争いに敗けた大津皇子のことで、姉がもどる1か月半まえに刑死している。

「弟もいなくなってしまったのに・・・」

 大伯皇女の嘆きが伝わってくる歌である。

 

 さて、今日は忙しい。この後、凸凹商事に行く。午前9時から午後5時まで、6つほどの部署を地域の役員と回ることになっている。なんだか面倒くさいんだけど、地元から頼まれると腰を上げざるを得ない。ワシャ的には本でも読んでいる方がいいんだけど、そうも言っていられない。

 取り合えず行ってきま~す。