ワシャが作家の司馬遼太郎に強い影響を受けていることは、皆さん、よくご存じですよね。
司馬さんの著作、関連本だけで書棚2本と半分くらいは所蔵している。『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮社)や『街道をゆく』(朝日新聞)、『この国のかたち』(文藝春秋)などは、書庫と寝室に1セットずつ置いてある。『この国のかたち』は、トイレにも1セット常備している。トータルの冊数は面倒くさいので数えないけれど、なにしろたくさんの司馬本が我が家のいたるところにある。
思想史家の鷲田小彌太さんが、昭和61年に『昭和思想史60年』を上梓され、その改訂版が平成19年に『昭和の思想家67人』(PHP新書)が出版されている。ワシャはこの新書版を持っているのだが、これ新書と言っても670ページにわたる大部なんですよ。この中に小説家の司馬遼太郎を思想家として列挙してあった。ワシャは司馬史観、司馬さんの日本を愛する心に共感する者であるので、司馬さんが思想家として名前が挙げられているところに、感動をしたものである。
「ああよかった。ワシャの読んできたのは単なる小説ではなく、思想書だったんだ」
てなことですわ。自分勝手に解釈をして自己満足にホッとしておりました。
鷲田さんは2年後の平成21年、やはり同じPHP新書から『日本を創った思想家たち』を出された。『昭和の思想家67人』は、時代を昭和に特化して、昭和に現れた思想家を並べている。そこには吉本隆明、中野重治、福田恒存、西部邁などと並んで司馬遼太郎がいる。
『日本を創った思想家たち』は、それを日本歴史全体まで拡大し、最澄・空海から、道元・日蓮、林羅山、貝原益軒、荻生徂徠、本居宣長、佐久間象山などという歴史的思想家たちを紹介している。近現代においても福沢諭吉、折口信夫、小林秀雄など早々たるメンバーが65人も顔をそろえる中、鷲田さんは、司馬さんを新書中で12回も取り上げている。これは福沢諭吉13回についで多い。項立てしたページでも1位が福沢の12ページ、2位が司馬の9ページとなっている。
そんな本の取り上げ方を書き連ねても仕方がないので、話を戻すと、この本が思想家としての司馬遼太郎をどう書いているか?
「思想家には文学畑の人が多い。なぜなら思想も文芸(リテラチャー)の一領分であり、テーマや内容の他に、表現力が問われことになる。だから思想は立派な文学でなければならない。この逆も真で、いい文学にはいい思想が無意識に脈づいている。その典型が司馬遼太郎だ」と鷲田さんは言われる。
ワシャにもまったく異論がない。
ワシャは司馬さんの作品に触れた最初の頃、山本周五郎や池波正太郎と同じような楽しみ方で司馬遼太郎を読んできた。ところがある時期に、ワルシャワの司馬読書が一定量を超えたんですね。そして司馬さんのほうも小説からエッセイ、旅行記へとシフトしていく中で、司馬遼太郎が小説家から思想家、あるいは宗教家のようにワシャの内部で昇華していった。だからワシャは「司馬教の信者」と言っている(笑)。
もうひとつ鷲田さんの言を引きたい。
《日本の思想を豊かにする人は、結局、日本史のなかによきもの(伝統)、よきひと(豪傑)を「発見」することに専心したということがわかる。三宅雪嶺、内藤湖南がそうだった。司馬遼太郎が、渡部昇一が特大にそうである。》
新書の司馬遼太郎の章はとっくに終わっているのだが、渡部昇一や吉本隆明の章で、わざわざ司馬に触れている。前述した「その典型が司馬遼太郎」の文は巻末の「あとがきかえて」の中にある。
司馬遼太郎に対して、リベラルサヨクがとやかく言っていることは知っている。やつらがそこまで問題にするということは、取りも直さず司馬さんが正論を言っているということに他ならない。
最後にこの文章を引いて終わっておく。
《司馬のイデオロギー批判の第一標的は、真理と正義と全能を主張するマルクス主義(イデオロギー)にあった。(中略)司馬は、多様な読み方を許す歴史小説(虚構)の形式を借りながら、膨大な作品を通して、しかも数十年をかけて、思想=イデオロギーの虚妄性を語るのである。そうして、戦後日本の思想熱に、穏やかに、しかし妥協の余地なく明快に、冷水をかけ続けるのである。》
残念ながらイデオロギーに染まったリベラルサヨク(自民党も含む)は、冷や水を浴びせかけられていることに、未だに気が付いていない。