まともな演説

 昨日の立憲民主党の野田元首相の追悼演説はよかった。そのことはテレビでも新聞でも殊更に言い立てているので、ワシャがとくに触れるまでもないだろう。

 ただ、これほどの演説ができる長老がいながら、立憲民主党の体たらくさは如何ばかりであろうか。

 野田氏を前面に立てて組織をつくっていけば、もう少しまともな政党になると思うが、菅直人ラインが幅を利かせているようでは、先行きおぼつかない。

 昨日のBSフジのプライムニュースで「自民党に対抗できる野党勢力をつくる」ということを言っていたけれど、今の泉健太体制では百年かかっても二大政党制などできまへんで。

 本来なら野田氏が立憲を割って、国民民主や維新と合流すればよろし。菅直人蓮舫、辻元らは共産党とくっついて名実ともに立憲共産党を名乗れ。

 そうすれば、旧社会党のようにいずれは自滅していって、現在の社民党のようになればいい。

 ワシャは、安倍自民は好きだったけれど、基本的に自民党は歯牙に合わない政党である。国会議員でも何人かは期待できる人もいるけれど、全体的には、内館牧子さんの『老害の人』(講談社)に登場する年寄りに支えられた残念な政党だと思っている。年寄りの理屈、年功序列、集団の和が優先される昭和のかび臭さが漂っている。

 小泉純一郎首相のときに一旦破壊されるかと思いきや、年寄り長老連が小泉氏にやりたいことだけをやらせて、見事に古き自民党に取り込んで、丸め込んでしまった。

 その後、安倍晋三首相ががんばったけれど、安倍さんは天に召され、余っているのは残飯のような親中派ばかりなりけり。

 野田元首相の、いい演説を聴くにつけ、自民党の劣化が目立ってしまう。もちろん「総理!総理!総理!」「記憶がない!記憶がない!記憶がない!」と連呼する連中のポンコツさはさらにその下をいっているのだが。

 

 安倍さんを失って、もう一度国会議員の皆さんは、自分の立っている場所を確認し、なんのために国会議員をやっているのかを自問自答して欲しい。

 もちろん国家国民のためであり、そのためには命をも捨てる覚悟を持てなければ、地方議員でもやっていればよろし。

 凡庸な国会議員は、ノブレスオブリージュという言葉を思い出して、国家国民のために真剣に働くことを考えろ。