志操(しそう)

 昨夜、某所でおもしろい宴をもった。この日記にたびたび出てくる政治家のKさんと、やはり政治家のNさんとご一緒した。

 切っ掛けは某市役所の玄関でたまたまNさんと出くわし、「また飲みましょう」という話になった。そこでKさんの名前が出て、「今、Kさんと仲がいい」ということで、Kさん、Nさん、ワシャの3人で席をもったわけだ。

 政治家と席を持つというと、なんだか生々しいけれど、まったくそんなことはなくて、Kさんとは20年来の旧知だし、Nさんも凸凹商事の関係でやはり昔からの知り合いだ。Kさんとワシャ、Nさんとワシャはそれぞれつながりがあるんだけど、KさんとNさんの仲が悪ければ、どうしようもなかった。ところが、ご両所もずいぶん以前から交流があったとのことで、双方ともが一目を置き合っていることがわかり、ちょっとホッとした。

 話題は尽きなかったんだけど、印象に残ったのはKさん、Nさんが名刺交換をしたときの話だった。お互いに名刺を出して、相手のものを確認すると「志」という字がどちらにも印刷されてあり、目指す思いは同じであることを確認し合ったという。

 

 ワシャも「志」という字が好きだ。なんてったって勤王の志士の「志」だからね。坂本龍馬高杉晋作ばかりでなく、新選組局長の近藤勇尊王攘夷の志士であった。幕府側、倒幕側の区別なく「志」をもった若者たちが京洛でしのぎを削っていた。だから幕末という時代は魅力があるのじゃ。

 タイトルにした「志操」という言葉である。

 またKさんに「難しい漢字を使う」と言われそうだが、好きな言葉なのでお許しくだされ。

 これは福沢諭吉の『文明論之概略』に出てくるんだけど、要は「かたく守って変えない志」のことを言う。「操」は「体操」の「操」だから、なんだか軽そうだけど、「貞操」の「操」でもあり、「道義や主義を守って変えない態度」という意味を持っている。つまり「志」がさらに強められたものが「志操」ということになる。

 

 ワシャはこの日記で道義や主義のふらついている政治家の批判を繰り返している。昨夜、2人の政治家が「志」について語るのを聞いた時に、「まだまだこの地域も捨てたもんじゃないなぁ」と思わされた。

 昨今の政治家は、選挙に通ることが最大の関心事で、選挙互助会のような大きな会派に所属したがる傾向がある。要するに「寄らば大樹の陰」ということだろう。

 しかし、孤高によって守られる強さ、潔さもある。Kさんとは思想信条に近しいものを感じるが、Nさんとは少し距離があるような気がする。でもね、思想信条が違っても、しっかりと議論できる状況があれば、それはそれで切磋琢磨になると思っている。

 照明が抑えられた狭い個室で、国政・県政・市政について意見を戦わせていると、なんだか幕末の志士になったような気分でした(笑)。

 あ~楽しかった。