政治家になれる人となれない人

 昨日、紹介した中野翠さんの本『この世には二種類の人間がいる』(文藝春秋)に「それは政治家になれる人となれない人だ」というコラムがあった。

 15年ぶりに再読したが、なかなか興味深い内容だったので日記に書いておこうっと。

 中野さんは言う。

《私には絶対つとまらない職業だな、と。まず選挙運動からして無理だ。自分の顔写真(作り笑いを浮かべている)が街にあふれ、自分の名前が連呼される――考えるだけでゾッとする。》

 これをまったく感じない者が議員になれるんですね。ワシャの知っている女性市議会議員なんかは、修正しまくった作り笑いの顔写真をあちこちに張り出して悦に入っている。

 反面、あるいきさつで議員になったものの、街のあちこちで薄ら笑っている自分の顔を見て、自己嫌悪に陥っているのもいた(笑)。

 中野さんの発言を続ける。

《ついでに言うと、おおぜいで集合写真を撮る時、まんなかへ、まんなかへと体が動いてしまう人、それから名刺に肩書をたくさん刷り込む人は政治家になれますね。》

 前述の女性市議、写真は必ず真ん中へ入って、宴席では上位の国会議員のところに必ずすり寄っていく。嫌がられながらも、いろいろな団体に所属している。

 まさに中野さんが言われる政治家の典型のような女性市議であり、保守系に所属しながら多文化共生、LGBTなどが好きで、それ以外の政策についてはほぼ知らない。まぁ現在の自民党がリベラル政党に落ちているので、そういう意味では自民らしい議員に多く見られるタイプと言っていいだろう。

 続ける。

《政治家となると毎日おおぜいの人に会わなくてはいけないらしい。》

 これが中野さん的には一番ツライと言われる。確かに、中野さんのような人間観察が好きなタイプは、自分を取り巻く人たちを、一個の人間性、パーソナリティーと捉え、その人の一挙手一投足にまで気がいってしまう。周囲を人間ではなく「票」と見ることができなければ政治家たりえないのだろうか?

 ワシャは別の地域の政治家に知り合いがいる。選挙区が違うから彼らの「票」にはならないのだが、それでも「人」として付き合ってくれている有難い存在だ。ところが選挙区内ではワシャのことを「票」としか見ない議員もいて、そのギャップがとても楽しい。

 中野さんの足元にも及ばないが、ワシャは、本が好きで映画が好きで歌舞伎好きで、人間観察が大好物のオッサンである。看板に作り笑いの顔をでかでかと出すのは恥ずかしいし、集合写真も隅で顔が半分ぐらい隠れている方がいい。だから根本的に政治家には向いていないんですね(笑)。