気品

 まずはアジア大会のニュース。

《中国女子は「挨拶さえしなかった」 日本女子が示した上品な礼儀と母国比較「最大の悲劇」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/0fbf283e9800f4ba7f6d1ac9579cc6bf7342f882

 アジア大会自体にあまり興味がなかった。せいぜいネットに流れている項目を確認したり、新聞のスポーツ欄をチラ見するくらいのことなんだが、このニュースには目が留まった。

 女子サッカーで、日本チームは完全アウエーの試合を4対3で勝利した。記事はこう書いている。

《開催国・中国との準決勝後には、ピッチ上で相手へ敬意を示すお辞儀をお披露目し喝采を浴びているなか、中国メディアはその気品に満ちた振る舞いに熱視線を送っている。》

 勝敗よりも、日本選手の態度に拍手を送っている。

《記事ではネットユーザーからの指摘として、技術レベルや戦術面で中国が日本より後れを取っているとの声が上がったことを紹介。さらに「中国女子サッカーチームの最大の悲劇は、日本に負けた時、挨拶さえしなかったことだ。挨拶の仕方さえ知らなかった」とも綴られ、試合後の振る舞いにも“差”が見えたことを強調していた。》

 これを支那メディアが言っているところがおもしろい。

 ちょっと前に、日本vs北朝鮮の男子サッカーがあった。あの時の北朝鮮選手の態度の悪さ、ラフプレーの多さには、世界が呆れた。でもね、朝鮮半島の民族性を考えると、まぁあんなものだろうと思える。

 今回の支那女子サッカーチームの振る舞いについても、彼女たちに非があるわけでなく、漢人を筆頭に支那帝国のもつ大陸民族性のなせる業なのである。

 

 今朝の朝日新聞1面「折々のことば」が直木賞作家の色川武大、ワシャ的には別のペンネーム阿佐田 哲也のほうが親近感があるけどね。色川氏の今日のことばがこれである。

《よい店、よい商店というものは、構えでなく、愛嬌でなく、ただあつかう物にどことなく気品がただようものである。》

 この「気品」が気になった。

 

 支那でも、北朝鮮でも同じなんだが、大きく店を構えているんだけど、飾り立てているのは表ばかりであり、他国の政治家などには最大限の愛嬌を振りまいている。ただ、あつかっている者にどことなく気品がない。

 色川氏は、戦後、大量に出回った「量産される無精卵」と、かつぎ屋の爺さんが各所から集めてくる卵を比較して、その爺さんが《卵を売る手つきは「撫でさするように丁寧」で、「高貴」でさえあった》と書いている。

 この違いなんでしょうか?

 自民党の政権が長く続き、一時、安倍時代に若干持ち直したものの、増税クソレーシックのせいで、また日本国民はどん底に向かって追い立てられている。それでも、日本人のもつアイデンティティーの中に、卵を売る爺さんの丁寧な気品のようなものが残っているのが救いだ。

 少なくとも敵側のスタッフから水をもらっておいて、殴るそぶりを見せるなんていう恥は見せてはいけない。しかし、20歳の北朝鮮選手が培われてきた民族の本質がそこにあるということがよく分かりますよね(笑)。

 

 さて、時折、ワシャは「ワシャは人相を観る者である」と書くことがある。といっても人相観でも易者でもない。何を観ているかというと、まさに色川氏の言う「気品」を観ているのだ。

 よい商人、よい社会人、よい公務員、よい政治家の顔には気品がある。それは顔立ちの美醜ではない。例えば、同じ人であっても、ある日、突然に「気品」が失われることも往々にしてあったりする。エッフェルさんのこの何か月かの変化をご覧なさいよ。

 このことはワシャ自身も日常的にもっとも気を付けていることである。

「下品な顔にはなりたくない」

 このことは死守したいと思っている。

 

《井ノ原快彦の対応めぐり「擁護派vs否定派」で激突! 長引く“場外論争”は関心度の表れか》

https://news.yahoo.co.jp/articles/34d9750206568aed37cfdf5c85cf05952ec7c578

 ネット記事や断片的なニュースでしか確認していないので、「擁護」も「否定」もできないが、少なくとも、文句を垂れていたジャーナリストと称する連中より、井ノ原快彦氏のほうが気品を持って対応していたことは確かである。ワンワンと喚いていた女性活動家が踊りを踊っている映像がSNSに会ったけれど、とてもじゃないが品とは縁遠いものだった。

 ジャニーズ問題で、もう一点、言っておくとすると、被害者の男性が数多出てきてるが、その並びの中にも「気品」のある人と、まったくない人が見受けられた。前者は、全体の救済を考え、後者は己の利益しか見えていない、そんなものも顔から滲(にじ)んでくるから恐いのである。