普通と変人

 今日、ちょっとした会合があって、そこは保守系の人が多い集まりで、たまたまそこにある国会議員の秘書が顔を出したのだ。秘書が会合のメンバーに言った。

「皆さんの地元でお祭りとかイベントがあったらご連絡ください。極力調整して顔を出しますから」

 会合参加者からは「うちの○○会に来てくれ」とか「町内会のお祭りがあるから来てほしい」なんていう話が飛び交った。

 ワシャはずっと黙っていたんだけれど、秘書が帰った後に「地元回りもいいけれど、まずは政策を勉強してもらったほうがいいんじゃないの?」と疑問を呈したら、居並ぶメンバーに「何を言うんだ。地元回りが最優先だ。とにかく顔を売って票につなげることこそが最重要だ」とボコボコに責められた。

 あらららら、そうなんだ。支援者たちは「まず票」なんですね(笑)。それはそうだと思うけれど、確かに落ちてしまえばただの人なんだが、国会議員に求められるのは、まず政策ではないのか?政策の勉強を差し置いて「お祭り」巡りではなかろうに・・・と思う。当選することを最優先事項にするならば、他の人の言うとおりなんだけど、考え方が固いワシャは、当選は二の次、まずは政策を最優先として、その結果として有権者から評価・・・票価してもらうというのが筋ではないか。しかし、有権者たちは「見えにくい政策」よりも、「見える目の前に来た政治家の面」を票価しちまうんですな。やれやれ。

 

《「たった1日で100万円」手当めぐる新人議員の訴えが波紋》

https://news.yahoo.co.jp/articles/5c28d92b6e023bd79fb38ec57533ab44032725e4

 日本維新の会の小野泰輔議員が告発してくれた。「文書通信交通滞在費」の話である。これが1ヶ月で100万円が国会議員に支払われる。投票日が10月31日だったので、その日1日が10月とカウントされて、当選全議員にそれぞれ100万円ずつ支払われた。もちろん国民の税金からね(笑)。

 それを小野議員は「おかしい!」と声を上げてくれた。その他の当選議員は何も感じなかったのかニャ?まさか「もらうのは当然」と思っていたりして。

 よく考えよう。当確の早かった議員でも午後8時だろう。とすると「文書通信交通滞在費」は自給に直すと25万円だ。さすがにどんなに手紙好きでも4時間で100万円の文書を発送するのは大変だろう。さらに言うと、当確が午前0時をまわった議員もいるよね。そうすると10月中に「文書通信交通滞在費」を使うことは不可能だ。でも100万円はポッポに入る。

 あるBSの報道番組で、髭の隊長こと佐藤正久参議院議員がこのとこを問い詰められ、「いくらなんでも1日100万円というのはいかがなものか。私も今まで気がつかなかった。しかし全国区の私は移動費とか文書通信で月100万円以上使っているから。領収書も100万円は楽にある」と苦しい答弁をしていた。確かに月末投票日というのを体験していないから、佐藤議員はこういった状況になるまで知らなかったというのもうなづける。しかし、やはり数時間の10月に対してまるまる支給というのは庶民感覚としては納得がいかぬ。こういった杜撰な制度も旧態とした政治風土に醸成されてきたもんなんでしょうね。

 ぜひ、維新の小野議員にはがんばってもらいたい。

 

 そして佐藤議員が言い訳の中で「為書き」のことに触れて、「この出費がバカにならない。日本全国で選挙があるたびに候補者に送っていると大変な出費だ。だから私は100万円以上使っている」と弁解していた。

 ワシャは自民党の中でも佐藤議員はモノのいい議員だと思っている。これからも頑張ってほしいと応援しているけれど、この「為書き」発言については、一言申したい。

 何年か前に、長期政権の首長を落そうと、自民系の国会議員が辞職をして首長選に出た。その時、ワシャはどちらの事務所にも顔を出したが、自民系の候補者の事務所の壁一面に、どうだろう300枚以上の「為書き」っていうやつが貼り出されていた。B紙サイズだから当然壁が足りず、名前の所だけを出して重ねて貼付していった。一番表には安倍首相とか、二階幹事長とかのビッグネームが出されるんですな。

 これが長期政権の候補者のほうには数枚とは言わないけれど、ごくごく限られた枚数しか貼られておらず、「為書き」の数だけなら自民系候補が圧勝していましたね。応援演説にも大物が何人もやってきて圧倒的優勢だった。

 しかし結果は自民系の首長候補が惨敗した。文書費を使った「為書き」は屁の突っ張りにもならなかったし、交通費を使った応援演説も何の足しにもならなかった。そういった旧態依然としたものは、当選にはまったく役に立っていないということは明白な現実なのである。

 

 こんな形ばかりの「無駄なこと」や、週末の「面見せお祭り巡り」に国民の血税を使わずに、しっかりと政策の勉強をしてほしいと思うのは、途方もないのぞみなんだろうか?

 少なくとも、ワシャの周囲は、「文書通信交通滞在費」を使っての「為書き」を欲しがるし、「文書通信交通滞在費」を使っての、地元回りを熱望している。普通はそうか?ワシャが変なのか?