化け物

 朝日新聞の文化面「語る」のコーナーに、コラムニストの中野翠さんが先週から登場した。とくに馴染みのある作家ではなかった。ただ、評論家で封建主義者の呉智英さんと仲のいい人だったので、何冊かは手に取っている。

 付き合ってはいなかったようだが(笑)、大学時代からの友達ということで、呉さんの口からも何度も名前をうかがった。そんな関係で中野さんの著書もワシャの書棚に並んでいる。

『会いたかった人』(徳間書房)、『この世には二種類の人間がいる』(文藝春秋)、『小津ごのみ』(筑摩書房)とかね。

「語る」の4回目に、ようやく呉さんの話が出てきた。中野さんは早稲田大学に入学してすぐに「社会科学研究会(社研)」という左翼学生の巣窟のようなサークルに入った。そのサークルの部室を共同で使っていたのが、呉さんの所属する「文学研究会(文研)」だったという。記事を引く。

《社研の仲間はストレートに真面目な人が多かったのだけど、文研はひとすじ縄では行かない曲者ぞろい。ゴチエー先生もそうだった。聞いたこともない小説や映画の名前をあげては、自分のセンスを競い合うような話をしてた。》

 呉さん、大学時代からまったく変わっていませんね(笑)。

 5回目の金曜日は、マンガ誌の「ガロ」の話で、このあたりも呉さんとの共通点が多く、この二人は気が合うのだろうなぁと思えるのだった。

 でね、金曜日の文化面をペラリとめくった。そうしたら中野さんの「語る」の裏面が吉永小百合の新作映画の記事だった。山田洋二の「こんにちは、母さん」だったっけ。

 呉さんや中野さんが早大の部室でブイブイ言っていた頃、早大の学食ではタモリが、吉永小百合の残していった残飯を、食べようかどうしようかと悩んだ青春だった。戦後間もないころに生まれた彼らが、早稲田大学で青春を謳歌していたことは間違いない。

 

 中野さんの『この世には二種類の人間がいる』の中に、「それは引き際を考える人と考えない人だ」というコラムが載っている。落語家の桂文楽古今亭志ん生の「引き際」について書いたもので、落語好きのワシャは、やっぱりそこに付箋を打っているんですね。文楽志ん生も格好のいい落語家でした。

 文楽は、国立小劇場の口演中に主人公の名前を失念してしまった。そこで落語を中止し「まことに申しわけありません。勉強し直してまいります」と丁寧に頭を下げて、そのまま下座に消えた。これが文楽最後の高座となった。このことを中野さんは《文楽の凄さとも思えるし脆さとも思える》と書いている。

 すっぱりと止めてしまった文楽に対して、志ん生は脳溢血で倒れ、舌も回らず手も不自由だったが、それでも高座に上がり続けた。落語の美学から考えれば「醜態」なのかもしれない。しかし、その醜態を「志ん生の持ち味」としてファンは歓迎した。

 このエピソードも中野さんに教えてもらったのだけれど、芸に生きるものの凄まじさを感じたものである。

 

 さてここからが本題。

 タモリが残飯を食いたがった吉永小百合のことである。ワシャはこの女優をいいと思ったことがない。いわゆるタモリに代表される「サユリスト」に絶大な人気があるわけだが、「男はつらいよ」シリーズでも2作に出演しているが、パットとしない。浅丘ルリ子いしだあゆみ太地喜和子大原麗子松坂慶子などの名演技と比べると、寅屋のちゃぶ台の向こうに座っているのは、どこまでいっても吉永小百合なのである。

 さらに言えば、これぞ吉永小百合という映画が思い浮かばない。「キューポラのある街」なんて駄作中の駄作だし、最近の「母べえ」、「おとうと」、「母と暮らせば」とか、何か心に残っていますか?いつも吉永小百合がそこで演じている・・・以外の印象がないんです。

 

 今回の「こんにちは、母さん」である。

 大会社の人事部長の母親という役回りで、脚本には年齢が書かれているのだろうけれど、それを確認したわけではないので、ざっとで見積もる。大会社で人事部長なら50代半ばか、演じる大泉洋の実年齢が50歳なので、まぁそのあたりなのだろう。

 とするとその母親は70代半ば、吉永小百合の実年齢が78歳なので、これもそのあたりに納まる。

 ここから記事を引きながら進めたい。

《「よっこいしょ」と立ち上がる。そんな吉永小百合を始めてみた。》

《「こんにちは、母さん」は吉永にとって初のおばあちゃん役だ。「よっこいしょ」なんて、大抵の人は普通に使う言葉だが、若々しい彼女の口から出たことに驚かされる。》

 御年78歳の女優が、今までおばあちゃん役をやって来なかったんだ?本来なら、志ん生のようにその年齢、状態によって自らの芸を変えていく。芸に生きる者の凄まじさがまたファンの感動を呼ぶはずなのに。

 少しばかり伝法な言い回しをしたって、「よっこいしょ」と言ったって、そこにいいるのは、美顔も整形もして若々しい顔をした吉永小百合なのである。新聞の写真だって「還暦」で通用しそうなくらい皺のない吉永小百合がほほ笑んでいる。

 

 今、NHKで再放送されている10年前の「あまちゃん」の主人公、天野アキの祖母のナツバッバを宮本信子が演じている。宮本は吉永と同い年なので、実年齢68歳の頃にナツバッバ64歳(シナリオ上の年齢)になりきった。ナツバッバは北三陸で最高齢の海女。身体のいたるところに年齢がまとわりつき、まさに老いた女がそこにいたのである。

 ひるがえって吉永はどうであろう。まだテレビで流れた予告編でしか見ていないが、高齢の女性を演じられているのだろうか?

 どの吉永映画を観ても、その大根ぶりが見えるんだけど、とくに山田洋二と組んだ時の大根が際立つ。

 

 文楽は、一人の名前が出てこなかっただけで、高座から去った。女優の原節子は、名監督小津安二郎の死去を受けて銀幕から退場する。そしてその後、二度と表舞台には現れなかった。ご両所とも、この潔さが格好いい。

 

 最近、吉永はビールのコマーシャルに出ている。それを見るたびに強い違和感を抱く。きれいですよ。とてもじゃないけれど78歳には見えない。でも、ワシャは実年齢を知っているし、彼女の長い女優としてのキャリアを見ている。

 なんだか、防腐剤を打ち込み、漬け込んだ、ちっとも変色しない大輪の花を見せられているような気がしてしまった。

「大輪の花」のところは、もっと違った言い方をしていたのだけれど、あまりに的確すぎて「大輪の花」に直しましたらふ。

 れしあ。