松平家忠

 先日の読書会でメンバーから「松平家定って知っていますか?」と訊かれた。ワシャは、戦国時代が好きで、とくに三河武士団については地元ということもあって、資料もかなり収集している。書棚にも『松平家忠日記』(角川選書)が挿さっていると、答えた。

 でね、その時に教えてもらった知立の歴史民俗資料館のミニ展示『どうみた家忠!-家康家臣の日記にみる戦国の世-』

https://www.city.chiryu.aichi.jp/soshiki/kyoiku/bunka/gyomu/1/1691283009231.html

に早速行ってきましたぞ。

 その展示、知立の歴史の展示スペースにコーナーとして設けられていた。そこに置いてあったチラシにはこうある。

松平家忠が残した日記の写本『戸尹記』をもちいて大河ドラマ放送回にあわせた週替わり展示を実施!!》

 これはおもしろい企画だと思った。『戸尹記』の原本である『家忠日誌』は天正5年(1577)から文禄3年(1594)まで記された日記で、これが大久保彦左衛門の『三河物語』とは違って、家忠の自分のためのメモであり、一切の誇張や想像が入っていないので、内容の信ぴょう性は極めて高いものと思っている。それにそって、家康を見ていこうという学芸員の発想はいいところを突いている。

 

 展示でも松平家忠のことに触れていたが、もう少し付け加えたい。

 松平家忠、深溝松平の当主であり、徳川家康に対する血縁親疎の順で言えば、第一列に位置付けられる。竹谷松平、桜井松平、長沢松平、大給松平の4家とともに徳川家支族を構成している。だからそもそも松平姓を持たない酒井忠次石川数正本多忠勝らとは格が違う。

 でもね、日記の終盤には、酒井らよりも格下の本田正信、大久保長安らに贈答品を贈っていることを記載しているので、家康の支族とはいえ、テクノクラートには気を使っていたようだね(笑)。

 その家忠が、本家の動向を含め、信長全盛のころから、秀吉の全盛期、伏見城築城あたりまでをつぶさにメモしているわけで、そこに私見や家康への忖度など入り込む余地はなく、ゆえに大河ドラマとは違って、信頼のおける記録と言える。

 

 ワシャが資料館を訪(おとな)った時は、NHK大河に合わせて、秀吉との和睦、石川数正出奔のあたりのページが開かれていた。

 展示室内は撮影が禁止されているので、資料の日付けだけメモして、今は国会国立図書館のデジタルコレクションを見ている。これね。

https://dl.ndl.go.jp/pid/772515/1/45

 この天正12年12月6日には「雨降 御きい 殿上へ御越候 権之尉越候 くり毛馬進候」とある。訳せば「雨降り 御きい(結城秀康様) (秀吉のいる)殿上へ行かれる。権之尉(家定のことか?)(結城秀康のとこるへ)行き 栗毛の馬を進呈した」ということ。

 12日にはこう書かれている。

「雨降 浜松御きい様 羽柴所へ 養子に 御こし候」

「雨降り 御きい様 羽柴のところへ 養子にいかれました」

 ということで、養子といっても人質にほかならず、家康は次男を秀吉に差し出したのである。そのことを家忠は淡々と記している。

 展示コーナーには、もう一冊があり天正13年11月のところが開いてあった。石川数正出奔の記載である。

「永良より帰り候 石川伯耆守上方へ 退(き)候由にて 亥の刻に注進(を受け)候 則岡崎へこし候えハ伯州尾州へ女房衆共ニ退(き)候 新城七之助かまえ居(おり)候」

 当時、家忠は西尾に知行地を得ていた。広田川右岸の氾濫原であり、土木のエキスパートでもあった家忠が任されたのである。そこから岡崎にもどって、石川数正の出奔を知ったわけだ。亥の刻というから午後10時前後で、そのまま岡崎城に登城している。伯州(石川数正)は尾張に女房たちと逃げてしまった。新城七之助平岩親吉)は備え、構えをしていた・・・というような内容ですね。

 

家忠日記』には、そのあたりの家康側の動きが具体的に書かれていて、大河ドラマでは得られない信憑性のようなものが感じられる貴重な文献である。この時期に、この文献を取り上げて、「どうみた家忠!」とタイトルを付けるなんざぁなかなか良いセンスをしていると思いますぞ。

 ワシャも久しぶりに『家忠日記』、『寛政重修諸家譜』、『徳川実紀』などを見直してみて、歴史の真実に触れる楽しさを思い出した。そういった機会を市民に提供することの重要性をひしひしと感じた。食いついてくれる市民はそれほど多くはないが、それでもこういった地道な地元の歴史を紐解いていくことが市民のリテラシー向上につながっていくと思う。

 ワシャは市民ではないけれど、とてもいい刺激をもらった。

 蛇足になるんだけど、知立市歴史民俗資料館の南に『風の門』と呼ばれる広い空間とさらにその南に新地公園があって、今はまだ暑くてかなわないが、涼しくなってくるととてもいい空間になる。施設の正面玄関から見る公園の小山や緑が、施設のいい借景になっている。

 久しぶりに足を運んだが、いい時間を過ごすことができた。

 

 そして蛇足の蛇足になるんだけど、資料館の西の鉄道を挟んだ反対側にピアゴ知立店があってね、そこに何気なく立ち寄ったら限定販売の「SUNTORY STRONG ZERO」の「梨ダブル」があったんでゲス。夏前にはそこいらじゅうの店にあったんですが、8月に入ってから品薄になり、盆過ぎからどこにもなくなってしまって・・・(泣)。そしたらそれがあったんです。ラッキー、家定様様ですな(笑)。