安城松平家発祥の地

 2日前に発売された『歴史人』2月号が徳川家康特集だった。年が明けてから、雑誌もテレビも徳川家康に乗っ取られたような様相を呈している。

 とはいえ、徳川家康に縁の深い西三河の人間としては、地域を売り出す絶好の機会だと思い、いろいろと水面下で動いているんですよ(笑)。

 この『歴史人』2月号なんだけど、これってけっこう優れもので、今まで教科書でしか家康を知らなかった人には、これ一冊で家康の全体像が理解できるというもの。ざっと目を通したが、おおむね押さえるところは押さえてあるという感じを受けた。この手の家康関連の軽めの雑誌は、学研の『歴史群像』シリーズから『歴史読本』まで揃っているが、その中でも今回の『歴史人』が見やすく読みやすい。

 さて、その『歴史人』、後段に「安城松平家発祥の地!」という特集(カラー4頁)があって、大きな見出しで《徳川家康ゆかりの「安城」をめぐる》とある。なにしろ4ページの中に大小あるが55回も「安城」という地名が登場する。地元民としてはこんなにありがたいことはない(泣)。

 大見出しの左わきにこうある。

司馬遼太郎いわく“安城”という地は「徳川家にあっては、これはただの地名ではなく、名誉と自負心と忠誠心を象徴する神聖語」であるという。》

 司馬フリークのワシャは早速調べましたがな。ネット上では

http://kenmin.kids-site.net/anjo/event2002/1005cycling/anshojou_histry.html

 大乗寺で住職が話をした時に司馬さんの言葉として示された。ここでは『覇王の家』が出典とあるから、昨日から『覇王の家』を確認しているのだが、見つからなかった。 司馬さんの言い回しとして「神聖語」というような語彙があったような記憶がないので、もう少し調べてみたいが・・・。

 とにかく雑誌全体を見ても、安城市歴史博物館の「松平清康」(家康の祖父)像が載っていて、ここでも「安城」が何度も出てくる。 織田・今川の対立を説明したページでは尾張三河の図が示され、そこにも重要な拠点として安城城が記載されている。

 さらに1頁を割いて「譜代最古参安城譜代7氏」が解説されているんですね。そのラインナップを見ても、「どうする家康」で大活躍をする家臣ばかりで、これは1年を通じて「安城」が表舞台に立ち続けるということに他ならない。

 加えて「三河一向一揆」も項目立てして頁がとってあり、「歴史人」のどこを見ても「安城」絡みの話ばっかり・・・ってそもそも家康は「安城」という地がなければ、世に出られなかったし、特集「安城松平発祥の地!」の中に《“安城”という地がなければ、江戸幕府も誕生しなかったのではないか。》と書かれている。

 歴史研修者、知識人たちは一様に「安城」に注目しているのだ。家康にとっての「安城」の価値に無知なのは、地元の市役所ばかりなりけり~。まぁ司馬さんに言わせれば「このセンスのなさが三河安城)人なのかもしれぬ」ということなんだろう。