西三河南部の城

 ワシャは城跡好きである。だから時間があればあちこちの城跡を巡っている。もちろん城が建っていても構わない。そこに昔日の面影が感じられればいいのだ。
 さて、ワシャは西三河に住んでいる。その辺りにどのくらいの城(跡)があるかというと、これがけっこうたくさんある。
【幸田】久保田城、高力城、坂崎城、茶臼山城など8箇所
知立知立城、牛田城、重原城、八橋古城、来迎時城など4箇所
刈谷刈谷城刈谷古城、境城、小垣江城、野田城、半城土城など7箇所
安城】安祥城、櫻井城、根崎陣屋、姫城、本證寺、藤井城など21箇所
【碧南】大浜古城、大浜陣屋、羽城など7箇所
【西尾】西尾城、牟呂城、東条城など16箇所
【高浜】なし
 トータルで63の城(跡)がある。戦国期に織田、徳川、今川などが入り乱れた騒乱の地であるだけに、たくさん建てられたんだね。その一つひとつに歴史の中に埋没しているドラマがあった。
その筆頭はなんといっても安祥城であろう。矢作川の西岸にあって家康の祖父までがその居城としていた。その後も東西双方の最前線基地となって、何度となく争奪戦、攻防戦が繰り広げられたところである。あの今川義元の名軍師といわれた太原崇孚雪斎(たいげんすうふせっさい)が攻城戦の総司令官を務めたことも有名。
 次いで刈谷城、ここでも何度も取り上げたけれど、水野勝成という武将を生んだ西三河の西の端にある平山城である。ここには整備の話が出ているようなので、それを期待したい。
 三番目が西尾城、ここは碧海台地の南の崎という立地だ。安祥、刈谷、西尾の三城の中では築城年がもっとも古く、承久年間というから1200年代の早い時期である。
 因みにこの三城の序列の付け方は、『日本城郭大系』の記載ページ数の多寡によった。ワシャの偏見でないことを付け加えておく(笑)。

 さて、これだけの史跡があるのである。確かに残存しているものは少ない。しかし、この地域の資源を使わないという手はないのではないか。
 今、岡崎、豊田、安城という西三河の町が「愛知開運ロード」という企画をやっている。今一つPR下手の感は否めない。そこがまだぐずぐずしているなら、それに乗っかって「上乗せ超開運ロード」とか銘打ってさ、家康を生んだお大とか、知立に滞陣した義元とか、家康に終始反抗した幡豆勢とか、家康の股肱の臣であった深溝(ふこうず)松平とか……家康周辺のキャラクターをつかって勝手に盛り上がるというのも入れ込み客数を増やすいい方法ではないか。なんでもやったもの勝ち、地元が楽しめば、ほっといても外から人はやってくる。